仕事のパートナーが亡くなった。
3月に体調がすぐれず外来で病院に向かい、検査の途中で倒れて、頭蓋骨骨折やら脳内出血やらで意識不明のまま亡くなった。
ふと思った。
人って自分の寿命を決められる?
寿命を知ることができる?
私の父が3年前に他界したのだが、数年間介護施設にお世話になってからの別れだった。
父が自宅で倒れたのは父の通帳の残高が亡くなった翌日だった。
退職金を少しずつ使って、飲みに行ったり、持ち家の修繕をしていた。
そのお金が亡くなって倒れた。
偶然かもしれないが、気持ちと生命力って繋がってるのかなーと感じたことを思い出す
倒れた後の父は、記憶も曖昧になり辛いことは忘れてしまったように見えた。
大好きなお酒が飲めないことには、寝たきりになっても悔しさを感じていたかもしれないが。
そして今回亡くなった仕事のパートナー
亡くなる直前に
『もうダメだ』と呟いた。
昨年はコロナの影響で、辛い一年だった。
政府の支援を受けて、数人いた働き手を手離し、なんとか存続するためにあがいた一年だった。しかし明るい兆しはまだ見えていなかった。
資金がつきた?
気持ちが落ちた?
私は彼の呟きをキャッチはしていたが、ちゃんと問わず。確認もしなかった。
なんとなく、言葉にして尋ねることをしなかった。
スルーしたのだ。
けれど、
彼はダメだ、と呟いてから日に日に弱ってきた。
一年365日、休みなく体を動かせていたのに、仕事が出来なくなってきた。
目が焦点が合わない。
うまく動けない。
イスに座って動けない自分を静かに受け入れているように見えた。
私は
毎朝、出勤するのが怖かった。
生きているのかな?
職場につき彼の姿を見て、ふと安堵していた。
私が病院に行くことを勧めたとき、彼は素直に肯定した。
病院に行く前に彼の着替えを手伝った。
生まれて始めて、人の着替えを手伝った。
ズボンを履き替えたとき膝に大きな青アザが見えた。
転んだ?
尋ねたら、そうだ。と彼は答えた。
体調が急変したのは転倒して頭を打ってしまったことが原因だったのかもしれなかった。
でも、それに思い当たったのは、彼が亡くなった後だった。
彼は転倒して頭を打ったことを知っていたのかもしれない。
そして、頭のなかに異変が起きてたのも知っていたのかもしれない。
彼は寿命の終わりだと思ったのだろうか?
もっと生きたい!と思ったのだろうか?
まだまだ考えてしまう時間がある。
彼は亡くなった。
私は生きてる。
生きるために前に進むんだ、自分!
気持ちも貯金も落ちて、新たな借金が生まれたとしても。
生きていく!
毎日、自分に言って理解を促す!