我が家のネコたちとパートナーと過ごした26年間の話し

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リン(先住ネコ)享年17歳11ヶ月

2021-04-16 07:51:28 | 日記
昨年3月31日に、虹の橋を渡ったおじいちゃんネコ。

町のペット・ショップ閉店のため、叩き売りされてた3匹の中にリンはいた。売れなかったらこの子たちは、どーなるんだろう。
リンたちはスコティッシュ。
立ち耳で血統書はついてない。
ここにいるネコたちが生きていけるのか、人間の都合で。どーにかなるのか。
店員に尋ねる勇気はないけど、胸が、ドキドキしていた。

私は当時賃貸マンションに住んでて飼うのは難しい。
でも、閉店日まで、毎日眺めに通った。
閉店前4日。

一匹でも救いたい(ごめんね、ほかの2匹)。
一番ブサクイで、かわいいこのネコを購入した。

生後3ヶ月。
既にドライフードを食べていたリン。

リンを我が家に迎え、それから1ヶ月以内に古い一戸建てを購入。

柱も畳も、どこでもガリガリして困らない環境を作った。

食べることが大好きだった。
飼い主が『ちょうだいは?』と話しかけると

少し考えて、お手をしてくれた。

のんびり屋。
他人に無関心。
ハーネスつけての散歩も大好きだった。
ネコの散歩は、寄り道が多いうえに、途中で休憩とばかりに座り込み昼寝をはじめることもあった。

異常な量の水分摂取
大量のおしっこ

1週間変えなくてよいシステムトイレのシーツを毎日交換していた。

腎臓が悪くなっていたのだ。

それでも元気に食べ続けていた。

なくなる前の数ヶ月。
なんどか動かなくなったり食べれなくなり、少しずつ痩せてきた。

そして亡くなるまでの1週間の間に水も飲めなくなり、一口の、食べ物も食べられなくなった。
立ち上がれずまばたきしない瞳だけが、私を見つめてくれていた。

3月31日の早朝になくなった。
前日の夕方、一生懸命頭を上げて、
何度も私になでなでしてーって
挨拶してくれた。

チビネコ(しらたま)は、気に入らないけど、
仕方ないからお空から面倒みてやるよ!

なくなる瞬間までネコの、人生を楽しんでいたリン。

リンを思い出して、
私も辛いこと、絶望的なことあっても
生きる楽しさを忘れないでいたい。

そう学んだ。

りんちゃん、ありがとう!







シラタマ(保護猫)分離不安

2021-04-15 18:37:17 | 日記
シラタマは2019年8月に東京で保護された。
首輪はついていたけど、飼い主らしき人はいなかった。
知り合いが警察へ預け、さて、どーしよ!という状態だった。

当日、我が家には16歳のネコが、腎臓の機能が落ちてきていたが、のんびりくらしていた。

ずっと一人っ子のおじいちゃんネコ。

チビで元気なオスネコが来たら、嫌がりそう。

夏の暑い日、警察の建物の裏に置かれたゲージの中でシラタマは日に日に弱っていく。

シラタマは、人間に投げられたのか身を守るために全身にぎゅっと緊張をいれながらも、ひっしにベロベロ舐めて、
どうにかボクをお家に連れてかえってくださいっっ

直感的に私が甘やかして育ててあげたい!と思って、我が家に迎えた。

前足の先が白いのでしらたま。

病院で、2歳から3歳と推測された。
至る場所で、おしっこをしていたのだが、
病院で腎臓の炎症を起こしてるのが原因だと知った。

暑い中、十分な水分も取れずゲージに確保されている間に重度の脱水になっていた。

我が家の布団は
瞬く間におしっこまみれになって
家からかなり離れてもくさーーい臭いが流れ出していた。

そして、誰もいなくなると狂ったように泣き出してしまう。

捨てられた過去があるのだと思った。

首輪を付けていたから、どこかのタイミングで飼い猫だったはず。
首に食い込んでる首輪から、飼い猫だったのは少し前だったんだろう。

大丈夫。
しらたまはうちの子。
ずぅっと家で暮らそう。

毎日話しかけてきた。

未だにトイレの粗相頻度は高いけど、
いつまでも赤ちゃんみたいでかわいい。我が家のネコ。しらたま




耳に残る『もうダメだ』

2021-04-14 09:57:27 | 日記
仕事のパートナーが亡くなった。

3月に体調がすぐれず外来で病院に向かい、検査の途中で倒れて、頭蓋骨骨折やら脳内出血やらで意識不明のまま亡くなった。

ふと思った。
人って自分の寿命を決められる?
寿命を知ることができる?

私の父が3年前に他界したのだが、数年間介護施設にお世話になってからの別れだった。
父が自宅で倒れたのは父の通帳の残高が亡くなった翌日だった。
退職金を少しずつ使って、飲みに行ったり、持ち家の修繕をしていた。

そのお金が亡くなって倒れた。
偶然かもしれないが、気持ちと生命力って繋がってるのかなーと感じたことを思い出す
倒れた後の父は、記憶も曖昧になり辛いことは忘れてしまったように見えた。
大好きなお酒が飲めないことには、寝たきりになっても悔しさを感じていたかもしれないが。

そして今回亡くなった仕事のパートナー
亡くなる直前に
『もうダメだ』と呟いた。

昨年はコロナの影響で、辛い一年だった。
政府の支援を受けて、数人いた働き手を手離し、なんとか存続するためにあがいた一年だった。しかし明るい兆しはまだ見えていなかった。

資金がつきた?
気持ちが落ちた?

私は彼の呟きをキャッチはしていたが、ちゃんと問わず。確認もしなかった。
なんとなく、言葉にして尋ねることをしなかった。
スルーしたのだ。

けれど、
彼はダメだ、と呟いてから日に日に弱ってきた。
一年365日、休みなく体を動かせていたのに、仕事が出来なくなってきた。

目が焦点が合わない。
うまく動けない。

イスに座って動けない自分を静かに受け入れているように見えた。
私は
毎朝、出勤するのが怖かった。
生きているのかな?

職場につき彼の姿を見て、ふと安堵していた。

私が病院に行くことを勧めたとき、彼は素直に肯定した。

病院に行く前に彼の着替えを手伝った。
生まれて始めて、人の着替えを手伝った。

ズボンを履き替えたとき膝に大きな青アザが見えた。

転んだ?

尋ねたら、そうだ。と彼は答えた。

体調が急変したのは転倒して頭を打ってしまったことが原因だったのかもしれなかった。

でも、それに思い当たったのは、彼が亡くなった後だった。

彼は転倒して頭を打ったことを知っていたのかもしれない。
そして、頭のなかに異変が起きてたのも知っていたのかもしれない。

彼は寿命の終わりだと思ったのだろうか?

もっと生きたい!と思ったのだろうか?

まだまだ考えてしまう時間がある。

彼は亡くなった。

私は生きてる。
生きるために前に進むんだ、自分!

気持ちも貯金も落ちて、新たな借金が生まれたとしても。

生きていく!

毎日、自分に言って理解を促す!



仕事のパートナーが亡くなって事業所の連帯保証人である私に請求される

2021-04-13 17:44:51 | 日記
仕事のパートナーが亡くなって
片付けを進め、気持ちも前を向き始めた。

失業してしまったが、なんとか生きていこう!

ハローワークの求人眺めるのも日課。
50歳を過ぎてるので、詳細を開いてはガッカリすることも多い。
しかし、生きるには仕事が必要。

これまでの仕事も続けられないか、考えてホームページをつくってみよう!と
関係書籍を購入。
気持ちをあげるためにネットカフェで作業してみたり。
外の、他人の働く空気で、自分を働く人に染めようと試みている。

夕方、弁護士から電話がきた。
内容はとても恐ろしいものだった。

既に退去した事業所の賃貸契約の精算額だ。
800万円!

何故?
どうして?

訳が分からないが、既にパニック。
弁護士の話が耳に入らない。

泣きそう。

どうやって工面すればよいのか?
自己破産?
自己破産すると、何がどう、変わる?

震える手で、ネット検索をする。

改めて、何で800万円?
と、思い直し、弁護士にこちらから連絡して聞いてみた

解約して半年分が300万円の家賃プラス現状復帰のために600万円

えっ?
現状復帰にそんなにかかるの?

重機械が入ってたし40年借りてたけど、そんなに?

内容を弁護士に尋ねてみると
パーティション解体費。

えっ?
パーティションなんてありませんけど?

汚いけどね
物は何も残してないよ?

弁護士は、
やはりねー

でも、ケンカしないように
丁寧に対応していくから。
多分大丈夫だから。

と、言ってくださった。

今回の出来事で、私は生まれて始めて心療内科を受診した。
寝れなくなってしまったからだ。

ここのところ、気持ちも落ち着き服用無しで生活していた。

今日はすぐに抗不安薬を服用した。

人が亡くなり、それに付随する精算。
事業所の賃貸契約の連帯保証人だった私。

相続人が請求は相続放棄しているので、
最終的には私に向かってくる請求。

一体どう準備すればよいのだろう?
何か楽になれる術はあるのだろうか?

全ての財産を渡して許してくれる?

再び精神不安定な日々に逆戻り

仕事もパートナーがなくなって1ヶ月の今。精算が残ってる

2021-04-12 21:19:15 | 日記
仕事のパートナーは突然亡くなった。

彼のガラケーで遺族を探して娘と息子にたどり着いた。

亡くなってから病院にかけつけてくれた彼ら。

随分と会ってなかったことを何度も話してくれた。
会いたいと連絡してもドタキャンされていたそうだ。

これは伏線だったのだろうか?

彼らには家族ができ、幸せな生活を送っている。
そして、家族を守ることが一番優先されるというのだ。

雲行きが怪しい予感がした。

彼らは病院の支払いも拒否。
守るべくは、妻や子どもたちだからだと言う。

彼らが子どもの頃は仕事のパートナーはどうだったのだろう?
まったく教育費を払わなかったのだろうか?
息子に聞くと大学院の授業料を払ってくれなかったそうだ。
娘に聞くと、初めの結婚が十代。住むところを借りてくれたそうだ。
始めての結婚に失敗して心が乱れたときは、子どもと共にカナダに数年滞在していたこともあるらしい。その時に援助もしてもらったそうだ。

しかし、これらは昔の話なのだそうだ。

仕事のパートナーである私が立て替えたものは、個人的なことから仕事関係まである。

彼らは相続放棄するので、すみません。
と、言って去っていった。

私は頭の整理をする暇もなく、事業所の片付けを進めた。

ようやく一息つけた最近である。

ようやく遺族に怒りを感じてきている。

仕事のパートナーは、信じられない生活をしていたことも分かってきた。
ウソばかりの生活だった。

だからって、相続放棄するのでって他人に丸投げしていいのだろうか!

亡くなった人に借金があり、相続人が全て相続放棄した場合、財産管理人をたてなければならないらしい。

財産管理人が貯金などを調べて、借金の精算にあたるそうだ。

遺族の彼らが、その事に気づいてくれるとよいなー
なんて淡い期待もしてなくもない。

しかし、私は生きていくことにエネルギーを使うべきだと自分に言い聞かせている。
そろそろ仕事をする生活にシフトチェンジする時期がきたと思えるようになった。

これからの私の人生。
焦ってもダメだ。
しかし、確実にに前に進みたい!