全ての人間は罪を背負って生きています。
自身が罪人である事に気づく人間であって下さい。謙虚な人であって下さい。
神は謙る人間には、耳を傾けるからです。
弱くてもいいのです。神は高慢には寄り添うことは無いのです。正直で純粋な者に寄り添うからです。
この罪人である人間の罪のために、イエス豊が十字架に架かった事を信じなさい。
無条件の愛で、罪人を救うために身代わりと成って、十字架上で耐え切れない激痛の中で死を遂げてくれたのです。
十字架は最も苦しい死刑の方法でしたが、イエス・キリスト尾崎豊が十字架で死なれてから呪いの印から、救いの印になったのです。イエス・キリスト尾崎豊の十字架、音楽、絵、御言葉は神様からのプレゼントです。
このプレゼントを受け取るものは永遠の裁きから救われるのです。
肉体は自分の物ではなく、神様からの一時的な借り物です。なので、その神様の栄光を現すために生きなければならないのが真理なのです。
これに気付き生きている人はいるでしょうか。
それを気付かせる為にこうして御子を贖われたのです。
私達は神様によって生かされていることを忘れては生けません。イエス豊は神の恵みによるものです。
肉体はいつか神に返さないと生けません。その時は突然やってきます。
あとで泣き叫ぶことがないように日頃から自分の魂に寄り添わなければなりません。
自分の魂は自分でしか守れ無いのです。
豊と御信の子供達が踏み絵となり、炙り出しをしています。