今回は神様の目に留まり、こうして運良くこの様な形で報われたので有る。
神様失くしては、あんふには何もできない馬鹿でアホでマヌケなので有る。
このあんふにに対して、神様は御言葉を伝える為に30年間と言う、気の遠くなる様な長い年月を、強靭な精神力を持って血の滲む思いをしながら耐え抜かれ、御心による御言葉をお伝えになられたのでのある。
この神様の想像を絶する、試練と困難と苦しみ、痛みと悲しみの中から神様の賜物で有る、御心による御言葉が伝えられたので有る。
まさしく、血を流されたので有る。神様でなければ出来ない御業なので有る。
神様は辛抱強く、あんふにが絵に向かうのを待っておられました。
ただひたすら、待っておられました。
心に痛みを伴いながら、待っておられました。
声にならない、言葉に出して伝えられない苦しみを伴いながら、待ち続けたのです。
いつになるかわからないのに、待ち続けたのです。
見捨てる事なく、待ち続けたのです。
その神様の御心は計り知れません。
神様がこうして待ち続けた事で、あんふには絵に向かう事が出来たのです。
そして、愛と優しさを持ってあんふにと向かい、丁寧に繰り返し分かるまで御言葉を教えて下さったのです。
どれ程悲しまれても、愛を注ぎ続けて下さったのです。
どれ程傷まれても、優しさを与え続けて下さったのです。
どれ程苦しまれても、見捨てる事はしなかったのです。
この神様成るイエス・キリスト尾崎豊様をこの様な形で、証出来る事こそがあんふにの誇りで有り、名誉なのです。感謝せねばならない事なのです。
イエス・キリスト尾崎豊様による血の賜物で有る、御心に寄る御言葉に
感謝しなければいけないのです。血の証だからです。