芽を潰された子、しかし、コピーが残されていた。絵から離れたあんふには、精神病になり、精神病院に隔離された。病院から戻ったあんふには、現実を受け止める為に、これまでの全てのものを忘れようとした。
これまで投稿して来た大量の雑誌は、全て自分の手で燃やした。その中には尾崎豊の大きな画用紙で描かれた似顔絵、数枚が入っていた。
尾崎豊の写真集はブックオフに出した。一度も見る事の無かったVHSテープと共に出した。
ただ、CDラジカセ、カセットテープ、CDは保存された。どうしてもこれだけは、手元に置いて置きたかった。良い思い出だからである。
この様にして、あんふには尾崎豊からはなれたのだった。
絵を描き続けたあんふには、一切の蓄えが無かった。
そしてあんふには、生活して行く為に絵から離れ、結婚するに至ったのだ。
あんふには、人並みになってTVを見る様に成り、CDラジカセは奥にしまわれた。聞く事は無かった。しかし、尾崎豊の情報はTVで知っていた。その中で、やはり今までの事は、夢の出来事だと思う様になった。現実を受け止めたのだ。
この様にして、あんふににイエス・キリスト尾崎豊様はいない存在としてみなされ、「無」になったので有る。
この様な酷い仕打ちを受けながらも、決してあんふにを見捨てる事はしなかった。あんふにを見守り続け、神様の御力でペンタブレットを作り、あんふにでも気軽に絵が描ける様に準備していた。世の中では既にSNSで個人で情報を、発信出来る様になっていた。
準備された時代により、動画、文字、音楽の三点で持って漸く、尾崎豊本人で有ると確信されたので有る。
世界では自然災害が多発し、平気で大量殺陣がなされ、経済中心の世の中になっていた。そして、今現在はコロナ禍で世界は混沌としている。
その中で、こうしてイエス・キリスト尾崎豊様が現れた事は決して、偶然では無いだろう。