「桜」・・日本人は、遠い古の時代から、桜を愛でる国民である。その為だろうか?開花宣言したばかりなのに、満開には程遠い桜樹の袂には、場所取りだろう?早々にブルーシートが敷かれていた。
考えてみれば、一年を通して日本で一番盛大なイベントは、クリスマスやお正月では無く、「お花見」かもしれない・・そこで、”お花見” の歴史を検索してみたら、ウッキぺディアに分かりやすく説明されていた。
今日は之で〆ね~♪⇒「桜色舞うころ」歌詞付き 中島美嘉
因みに”お花見”は、欧米でも「OHANAMI」で通用する単語になってます。
※2022年3月13日に発表された開花予想図ですが、現在はどうなってるのかなぁ・・・
花見は奈良時代の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜に変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。
『日本後紀』によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催した。これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』「花宴」に描かれる。『源氏物語』には藤を鑑賞する宴会についての記述もあるが、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか、桜以外の花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。
吉田兼好の『徒然草』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。
織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される。この時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐の花見である。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。江戸で著名な花見の名所には愛宕山などがある。この時期の花見を題材にした落語としては『長屋の花見』や『あたま山』がある。※ウッキペディア参照
序に、桜は他の呼び方があるか調べてみたら「夢見草(ゆめみぐさ)」・「挿頭草(かざしぐさ)」・「曙草」は有名な名前だが、他にも「春告草」・「花王」・「徒名草(あだなぐさ)」・「吉野草」・「暮春」・「季春」「殿春」・「春惜しみ月」などの呼び名がある。
とりわけ美しい桜には、昔からこういった別名を付けて愛でていたようで、それぞれに由来がある。例えば「夢見草」は「夢の様に美しくも儚い」という意味からそうだ。改めて、日本人って言葉を大切に、そして粋に使いこなすおしゃれな国民なのですね~うん!うん!~(^_^)
「Ohanami」は遠い古の時代から続く日本の風習。その訳は・・
☆日本は四季があり、ハッキリしている為昔から四季を”楽しむ風習”があった「四季を愛でる」民族。
☆日本は外でお酒が飲める!これもお花見の要因の一つ。「これは当たり前」と思ってしまいがちですが、実は海外では珍しいことなので、外での飲酒が法律で禁止されている所は多いです。
☆日本人はマナーが良いということも大きな理由の一つだと思います。
「お花見」は日本特有の文化で、歴史ある風習なんですね。勿論、外国にも桜はありますが、やはり皆でお酒を飲み交わしながら、わいわい楽しむのは日本ならではの風習です。それに一番の理由は四季を「愛でる」という「粋」DNAが有ってこそだと思います~♪
是非シーズンにはお花見を満喫して日本の良さを再確認しましょう~♪・・と、言いたいですが、先日もお話ししました通り、今年も「お花見宴」は自粛せざる得ない雰囲気です。因みにボンボリ照明は設置しないそうです。
だけど、桜木の袂で気の置けない仲間との「宴」は、純日本的で風情や情緒を感じる事の出来る、最大のスペシャルイベント「OHANAMI」~♬さてさて、今年2022年はどうなる事でしょう?
ちゃんちゃん~♪
今日は予報通り寒い一日になりました。
急激な寒暖の差が厳しいです。
どうぞ~どなた様もお身体御自愛下さい~♪
それでは!またね~♪~(^.^)/~~~
~Have a nice weekend~♬
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西風
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