フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

2023-06-17 09:31:20 | 来日の友人たち

コロナ発生以降の初来日とあって、東京ではご主人の家族のお墓参りに行き、しばらく東京で滞在し,京都に滞在している間に奈良に来られた。ご主人はもともと関東の出身で、関西に2年ほど住んでいたこともあると言っておられた。

しかし、奈良へのアクセスについては、説明する必要があった。

そして時間ギリギリに迎えに行ったのだが、早く着いていた彼らは違う出口から出てしまっていて、会うまでに少し時間がかかった。

が、電話でうまく連絡ができて、無事会えて、徒歩10分くらいだというと大丈夫だというので、歩いてわが家へと向かった。

二人とも軽装であったが、普段アメリカでは車暮らしのせいでか、特にご主人の方が少し歩くと辛そうにみえた。

 

到着した途端、ご主人はダイニングの椅子ではなく、リビングに置いてあった物置台に座り込まれた。

椅子へと促して、少し落ち着いた。

 

この日本人のご主人は、かなり饒舌で、よくしゃべるしゃべる。

いろいろな話を本当に途切れることがないくらい話していた。奥さんのベルトはたぶんほとんど理解できているのだろう。うなずいて聞いていた。

ベルトが私に話しかけるときはフランス語になるが、ご主人が日本語なので、私たちもほとんど日本語で話していた。

 

二人ともほとんどお酒も飲まず、また食事にも気をつけていて、小食でヘルシー志向のようだった。

 

関西に住んでいた時、「鱧」を普通の魚と同じだと思って買ったベルトは、「ムニエルにして食べた失敗があるのよ」と言って笑っていた。

 

お茶も体験してもらい、私の母とも交流していた。

アメリカ育ちの二人は高校生くらいの時に出会ったそうだが、その後結婚し、日本で住んだ経験もある。

カリフォルニアを選んだのは、数十年前に移り住んだ時、二人とも「外国人」になるので、一番人種差別がないと思ったからだと言っていたことが印象的だった。

 

いつもと違い、フランスの話はあまりできないし、アメリカはおろかハワイさえ行ったことがない私たちなので、日本の話題についてしか共有できる話もなかったが、とても喜んでくれたようだった。

帰るときは鈍行しか停まらないが徒歩3分の駅があるので、そちらへ見送りに行ったとき、ベルトは少し涙をためていたようにも見えた。

「次はカリフォルニアで」と言ってくれたが、果たして行くことがあるだろうか。

 

つい最近、この秋にフランスへ行くと言っていた。またその話も聞かせてくれるだろう。




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