パリの家でも夕食の準備をしてくれ、なんと、ご機嫌な彼女は、ご主人のリシャールに「タンゴを踊ろう」と誘った。
「Non,カトリーヌ」と、ご主人は躊躇していたが、そんなことで引き下がらないカトリーヌは健在だった。
結局2人のタンゴを見せてもらい、楽しい夕べだった。
「今度はボルドーへ一緒に行きましょうね」と言ってくれ、その約束をしてお別れをした。
その時はこれが最後になってしまうこととは思いもしなかった。
追記:
2016・2017・2018年と行っていたのに、優先するべきところがあったのと、病気のこともあって、連絡を遠慮していた。
2014年の訪問以降、カトリーヌはメールのたびに「フランスに来るときは連絡してね。ボルドーの別荘へも一緒に行きたいわ」と書いてくれていたのに。
2019年春のフランス訪問の計画を立てていた2018年11月、「春には会いたい」そんなメールを送ると
「まあ、なんて嬉しい知らせ。うちに来てね。いつでも部屋は待っているわ」と。「そしてボルドーの別荘へもね。期間が決まったら知らせてね」と書いてくれていた。
年が明け、旅程の調整をしようと連絡をすると、返事のメールが来たが、今思うと少しメールがおかしかった。
いつものように「もちろん待っているわ。」と書かれていたが、連絡先として、娘夫妻の住所や電話番号が書かれていたり、文面が繰り返されていたり、いつもと違う変なところがあった。
そのあとも数回メールを入れたが返事がなくなり、おかしいなと思い、娘さんの連絡先にメールを送ったところ、ご主人のリシャールから返事があった。
「カトリーヌは記憶がなくなってしまったんだ。日本に行ったときの思い出をいつまでも私たちは大事にしているが、申し訳ないが会うことができない。」ということだった。
しばし呆然としてしまった。
今もまだ信じられない。
あの活発で明るいカトリーヌが・・・。
11月に送ったメールは紅葉の写真を添付したのだが、紅葉をこよなく愛した彼女をいたく喜ばせ、すぐに返事をくれたことからも、会ったら彼女はよくなってくれないかなと思ったりもするが、ご主人がそう言っているので、尊重するしかない。
私もまた個性的でフランス人らしいフランス人の彼女との思い出を大切にしたい。
そして、遠くから、彼女の健康を祈っている。