フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

タンゴを踊ってくれたあの明るく活発なカトリーヌが・・・

2021-09-30 08:25:53 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

パリの家でも夕食の準備をしてくれ、なんと、ご機嫌な彼女は、ご主人のリシャールに「タンゴを踊ろう」と誘った。

 

「Non,カトリーヌ」と、ご主人は躊躇していたが、そんなことで引き下がらないカトリーヌは健在だった。

結局2人のタンゴを見せてもらい、楽しい夕べだった。

「今度はボルドーへ一緒に行きましょうね」と言ってくれ、その約束をしてお別れをした。

 

その時はこれが最後になってしまうこととは思いもしなかった。

 

追記:

2016・2017・2018年と行っていたのに、優先するべきところがあったのと、病気のこともあって、連絡を遠慮していた。

2014年の訪問以降、カトリーヌはメールのたびに「フランスに来るときは連絡してね。ボルドーの別荘へも一緒に行きたいわ」と書いてくれていたのに。

 

2019年春のフランス訪問の計画を立てていた2018年11月、「春には会いたい」そんなメールを送ると

「まあ、なんて嬉しい知らせ。うちに来てね。いつでも部屋は待っているわ」と。「そしてボルドーの別荘へもね。期間が決まったら知らせてね」と書いてくれていた。

年が明け、旅程の調整をしようと連絡をすると、返事のメールが来たが、今思うと少しメールがおかしかった。

 

いつものように「もちろん待っているわ。」と書かれていたが、連絡先として、娘夫妻の住所や電話番号が書かれていたり、文面が繰り返されていたり、いつもと違う変なところがあった。

 

そのあとも数回メールを入れたが返事がなくなり、おかしいなと思い、娘さんの連絡先にメールを送ったところ、ご主人のリシャールから返事があった。

 

「カトリーヌは記憶がなくなってしまったんだ。日本に行ったときの思い出をいつまでも私たちは大事にしているが、申し訳ないが会うことができない。」ということだった。

 

しばし呆然としてしまった。

今もまだ信じられない。

あの活発で明るいカトリーヌが・・・。

 

11月に送ったメールは紅葉の写真を添付したのだが、紅葉をこよなく愛した彼女をいたく喜ばせ、すぐに返事をくれたことからも、会ったら彼女はよくなってくれないかなと思ったりもするが、ご主人がそう言っているので、尊重するしかない。

 

私もまた個性的でフランス人らしいフランス人の彼女との思い出を大切にしたい。

そして、遠くから、彼女の健康を祈っている。

 


印象派の島、シャトゥ村(Chatou)の思い出のレストラン

2021-09-29 08:22:08 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

凱旋門のすぐそばに住むカトリーヌ夫妻との再会は2010年以来になる。

2009年の来日時、我が家に3泊し、1年後「是非に」と言われて、凱旋門に近いアパルトマンで数泊泊まらせてもらい、

シャンパーニュの田舎の家でも3泊させてもらった。都会に住むフランス人が週末を田舎で過ごす野に連れて行ってもらうという経験は、本当に貴重なものだった。

 

その田舎の家を売り、ボルドー近郊にまた別の家を買ったので、「来てほしい」と言われていたが、ボルドーには他の知人もいるので、なかなか機会がなかった。

今回もボルドーに行くが、別の予定があるので、行くことはできない旨を伝えると

「パリにどうぞ」ということだった。

サルラに行く前に一泊だけさせてほしいとこちらからお願いしたのだが、「もちろん」という返事だった。



ミッシェルさん宅へ迎えに来てもらった時、彼女を見て「おや?」と思った。

ヘアスタイルが変わっていた。実は、彼女はウイッグだったのだ。

その車の中で聞かされたことが衝撃的だった。彼女は、この訪問の直前がんを患い、治療をしていたとのことなのだ。

 

そう言ってくれれば、訪問はともかく、宿泊のお願いなどしなかったのに。

日本人なら、病気を理由にして、会うことも泊めることもないのではないかと思う。

しかし、彼女は違った。



そう言えば、2010年フランソワが大きな心臓の手術をして1ヶ月も経たないころだったので、訪問を遠慮するつもりだったが、その時も是非にと言われた。

 

フランス人に聞くと、病気などで心身が弱っているから、逆に会いたいと思うこともあるとのことだった。

 

これは、本当に驚いた。

 

果たして自分がそのような場合、そう言うことができるだろうか。風邪や、ちょっと疲労気味の時は何度かあったが、大きな病気の時、または直後だとかなり難しいことだ。

 

そんな彼女は、私をサンジェルマンアンレーの近くの、印象派画家たちがこの辺りでよく描いていたという場所にあるレストランに昼食を招待してくれたのだった。



しかもそのレストランは彼女が子供のころ、両親と何度か来たことがある思い出のレストランだという。

そんな場所に私を連れてきてくれたことに、胸がいっぱいになった。

しかも私はそんなこと聞かされていなかったので、ラフな格好だったのが今思い出しても少し恥ずかしい。

 

そのレストランの名は「ラ・フルネーズ」。ルノワールが「船遊びをする人たちの昼食」

と題して、このレストランのテラスで食事している人たちを1881年に描いている。



彼女は、抗がん剤治療をまだ数回残しているとのことで、食欲がないと言っていた。

それでもメインに選んだのは、子羊だった。そしてデザートまで、ちゃんと食べていた。

そしてご主人もそんなカトリーヌを見て、「今日は食欲がある。」といった。

その後は、サンジェルマンアンレーのお城を見たのち少し休憩して、パリの家に戻った。

 

お茶を飲んだカフェにはフランスの犬はお利口なことで知られる?犬を連れた夫妻が隣席に↓

 

騎馬警官↓



狩猟博物館からマルチーヌ宅での夕食

2021-09-28 08:33:06 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

そして、向かったのは、狩猟博物館。パリの主だった美術館はほとんど訪問していたので、ここを選んでくれたようだ。

ヨーロッパならではの動物のはく製や狩猟に伴う猟銃など、珍しい博物館だった。


なんとなく日本の蒔絵風?↓

そして、夜はマルチーヌ宅で夕食が待っていた。

いつものようにトゥールーズで妹さんが作っているフォアグラとシャンパーニュからスタート。

シャンパンを抜くのはいつもミッシェルさん↓

マルチーヌはクレームドカシスを入れて、キールロワイヤルにしてくれたが、ミッシェルさんは入れないほうが好きらしい。

メインは、仔牛のクリーム煮(私の好物のブランケット・ド・ヴォ―)で、デザートのこれまた好物の手作りタルトタタンだった。

旧知のメンバーで親戚といってもいいほどなので、おしゃべりに花が咲き、ゆっくしさせてもらい、またミッシェル夫妻とともにメトロで帰宅。

明日は、カトリーヌとの再会だ。


エリザベス女王も来たことのあるパリで最も古いお菓子屋さんがある通り

2021-09-26 08:16:45 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

まず、ミッシェルさん宅の近くを少し散歩した。

今は復活祭の時期で、そのお菓子がたくさん並んでいた。

そして、ほとんど観光客は来ないピレネー駅から一本でランビュトー駅までメトロに乗り、ポンピドーセンターのすぐそばのマルチーヌ宅へと向かった。

彼女の家には何度も行っているはずだが、Jクロードは間違えていて、マルチーヌに電話をして、一本通りが違っていたことが分かった。

ミッシェルさんの方向音痴はよく知っているが、彼女についてはほとんどそう言うことがなく、珍しいことだった。

 

マルチーヌと一緒にまず向かったのは、モントルグイユ通りだ。

レ・アールはちょうど改装中だった。そこを抜けていく。↓

モントルグイユ通りは初めて訪問する場所だった。

 

Jクロードはいつもこうして予定を立ててくれる。

彼らと歩くこの通り。

レストラン、カフェ、食材店などが並んでいる。

古いエスカルゴ料理のお店や、エリザベス女王が来たことでも知られるやはり老舗のお菓子屋さん(ストレー、1730年創業、江戸時代徳川吉宗の時代だ)。

お昼は、自然食が好きなマルチーヌに合わせて?レバノン料理の店だった。

軽食のような店だったが、なかなか美味しかった。

そして、そのあとはパッサージュを歩く。

この時はこのパッサージュも初めてだった。(パッサージュ・グラン・セルフ)

 

マルチーヌがパリの記念にとカップを買ってくれた。

パッサージュ・ケール(カイロと名付けられたパッサージュなので、彫刻も↓)

 

ネコカフェまであった。↓


ミッシェルさん宅で最初の一泊が始まった。

2021-09-25 08:49:12 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

2012年に続いてのフランス。まず到着日は、その時と同じパリのビットショーモン公園近くのミッシェルさん宅だ。

いつも空港まで迎えに来てくれる。2年ぶりだ。

今回もANAだったので、(2016年以外ミッシェルさん宅にお世話になるときはいつもANA)ターミナル1の古いターミナルに迎えに来てくれた。

 

いつもウエルカムディナーを用意してくれるのだが、今回はマルチーヌが迎えに来ていないので、ミッシェル夫妻とだけのディナーでもあり、「スープとサラダだけでいい」とお願いした。

奥さんのJ・クロードの作るスープが好きなので、いつも楽しみだが、今回も2012年と同様、ミントが添えられたプチポワ(グリーンピース)と他の野菜やたぶんベーコンなども入っていたと思う。

しかしメインも軽く用意してくださっていたので、やはり頂かないわけにはいかない。(照り焼き風?)

そしてデザートも。

 

再会を喜び合い、明日の予定を聞き、早めに休むことにした。

*******

翌朝は、奥さんが最近できたイギリスのスーパー?マークス&スペンサーで見つけたという紅茶やアメリカンマフィン、クリームチーズが出てきた。

意外なことに、クリームチーズが出されることはフランスではあまりない。(私は初めてだった。)

 

ましてや朝食に出てくることはなかった。

キリーという日本でも有名なクリームチーズは、エスカレーターに言わせると、「子供向けのチーズ」ということになる。

でも、このアメリカのクリームチーズも奥さんがお気に入りとのことだ。日本ではポピュラーなチーズ。

パリジャン、ミッシェルさんは食べないらしい。



朝食をいただいた後は、マルチーヌも合流してパリ散策の予定になっている。

 


フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング