洋画家 吉田緑 ーWeb Photo Diaryー

日常の出来事、目にする花々の私感、様々のことを徒然に・・・

マヤ・インカ・アステカ展に思う

2007年12月21日 | 展覧会
写真は、神戸のルミナリエ。もうすぐ始まるようで、まだ準備されてる途中です。


さて、神戸市博物館で「マヤ・インカ・アステカ」展が10月から開催されていたのですが雑用に追われ、会期もあとわずか、結局この年末のあわただしいこの時期に観に行きました。

不勉強な私にはどの文明も紀元前のものだと思っていましたが、紀元前からの文明はマヤのみ(期間2000年)で、インカは15世紀ごろで、アステカは14世紀から16世紀だったのです。

そして、独自に発展していった何れの文明も16世紀にアメリカ大陸に進出したスペインに滅ぼされました。

美術、工芸品等すばらしいことはもちろんですが、今回は私たちの生きている現代にはない「死生観」について考えさせられました。

雨の少ない土地で作物を育て生きていくからこそ根付く厳しい自然に対する畏怖。そしてそこから生まれる神々。(自然イコール神々)

厳しい自然との共存で、人間は一番大切な命を神々に捧げることでしかなすすべがなく、いけにえの文化が生まれたということです。

アステカでは、太陽に崇められ、自然の秩序を保つためにいけにえの儀式が行われました。子供の泣き叫ぶ声が大きければ大きいほど雨がたくさん降る、とされたり、いけにえを確保するために遊戯が行われて敗者はいけにえとなります。

また、アンデスのインカのある土地では全く雨が降らない乾燥した土地では、死ぬと生き物はすべて自然に「ミイラ」となります。

そこでは、生死の境が我々の考えるようなものではないようです。ミイラとなった人を生前同様に髪や服を整えたりして世話をし、そばに置き普通に話しかけるのです。

現代の今もミイラが祭られ、村の人を見守っています。

スペインによってことごとくこのいけにえの文化は拒絶され破壊されましたが、これらの人々のの自然に対する畏怖心は尊いものです。




地球規模で自然破壊が起こっている現代において、近い将来に多くのいけにえが必要となるような時が迫ってくる、そんな恐れが来ないようにと、切に思いました。





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