僕は最近、とてつもない話しを聞いて感動してしまいました。詳しくは忘れてしまったのですが、HONDAの創設者である本田宗一郎さんです。
死に際がすごくかっこいいですよね。
全国にあるすべてのHONDAの工場や営業所や各地を転々と回ったんですって、そこで全社員と握手して「ありがとう」を伝える行脚をしたんです。
とことんまで「人のことを考える」社長の教えが企業の経営方針にかかっている。すごいなぁ。偉大な人は考えることも偉大だなぁ・・・
感動しましたよ。人にはいろんなドラマがあって、聞くに耐えない話しもあるけれども、こうしてたくさんの人にただありがとうと伝えたかったという感動話しを聞くだけで、心が浄化されますよ。
お葬式も渋滞になるからやらなかったんですって。
お別れ会みたいなものはあったみたいですが、何万人もの人々が来たそうです。たくさんの人から愛されてさぞしあわせだってでしょうね。
こんな生き方に憧れてしまいますね。したいですよね。こんな生き方。
亡くなるときの去り際はかっこよくしたいです。皆さんはそんなこと考えていないでしょうけれども、寿命尽きるときは美しくありたい。
ある人はベッドで「おまえに渡したい遺産がある・・・」と言って、
渡したものは『大田胃酸』だったという逸話があります(笑)
それがその人の最後の言葉でした。その病院の中は笑いでいっぱいになったそうです。そんな明るい最後の去り際もいいですよね。
人間が寿命尽きるまで生き抜く中で、すごーく大切なことがあるそうです。
約束のようなものかもしれません。
それは「幸せに生きたか?」「懸命に(精一杯)生きたか?」「希望を捨てず、夢をあきらめず追い続けたか?」「人をたくさん愛したか?」
神様からこう問いかけられますよ。
亡くなった後、周りにどんなことを残せるかで人の価値は決まるのかもしれません。上記の問いかけで人の心に残せたものは変わります。
あの世で神様に自慢できるくらい息せき切って話しができるくらい。僕たちが立派なことができたらしあわせだけど、できなくたって精一杯生きたらそれでもう立派なことです。
佐藤初女さんという青森で森のイスキアという憩いの施設を主宰している方が人の死についてこう言明されました。
「人の死は姿の別れであって、心の別れではありません。亡くなった人が生前に望んだように、自分が生きていくこと。それがその人の慰めになります。」
記憶の中で生き続ける人の心、弘法大師空海は「よい残り香をおいていくような生き方を目指せ」とおっしゃいました。
そして、身は花とともに落つれども、心は香とともに飛ぶ。【性霊集】
訳:肉体は花が落ちるようにいずれは枯れ落ちるが、心はたなびく香のように天に昇っていく。
去るときはよい残り香をおいて逝く
去り行く後、誰も悲しませることなくたったひとりでも誰かの心にポっと灯りを点してくれるようなそんな人生であれば満点であります。
皆さんはどう思いますか?