「精霊の守り人」
何年も前のものみたいですけれども、みていて落ち着く物語です。
ウィキペディア守り人シリーズ
途中までみていて、こんなシーンがありました。
水の精霊ニュンガ・ロ・イム〈水の守り手〉の卵を宿したチャグム王子たちはヤクウの村から去る時にすべての村の住人たちに頭を下げて見送られます。
するとチャグム王子が「なぜ、村のみんなが頭を下げているのか?」と聞くんです。
呪術師トロガイがこう言います。
「誰かが背負わねばならん運命をたった一人で背負った者への敬重の念からじゃ」
たぶん、村の人はチャグム王子に向けた一礼だったかもしれませんが、それを支える呪術師トロガイやその弟子タンダに短槍使いのバルサたちへの一礼でもあったでしょう。
チャグム王子は村の言い伝えで、ニュンガ・ロ・イムの卵を食らうナユグの怪物ラルンガからも命を狙われていた事実を知ります。
自分がやがて殺されてしまう運命をたった一人背負わねばならない。
国の大役をまだ幼い少年が背負う過酷なる運命
ここで思うのは人間の背中には大きな石が霊的にあるそうです。
その重く大きな石は誰もが背負っていて、人生に困難なることや苦しみの葛藤を背負っているということを意味しています。
徳川家康も言ってます。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」
【意味】 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如しとは、人生は長く苦しいもので、努力と忍耐を怠らず一歩一歩着実に歩むべきだということ。
冒頭の一節で、『論語』にある「任重くして道遠し」を基にしたことば。
【英語】 The world is a long journey.(この世は長い旅である)
The life of man is a winter's day and a winter's way.(人の一生は冬の日、冬の道である)
人間誰もが背負うべき運命を背負って生きている。
それは自分の果たすべき重荷として、
地球の重荷として、
重い、軽いということではなく、その運命をしっかりと生きていくことが人間に与えられた運命、使命なのかもしれません。
それ故、知っていれば誰に対しても頭の下がる思いではありませんか。
誰も重荷に関しての内容は知りません。ほんとは自分さえもわかっていないかもしれない。
知っているものだけが理解できる。
その想いは語られなければ誰も知ることはない。
永遠に
「本当に皆様、頭の下がる思いです。ご苦労様です」
と天のものは理解してくれているはずと思います。