厳しさを身に感じれば感じるほどに、その有り難さが染みてくる。優しさはこのようにして生まれてくるような気がする。その優しさは理解からだ。理解のないところに成長はない。
有り難いは本来、ありえないものだから有り難いわけですけれども、ありえないというのは受け取ることができないにも関わらず受け取ることができている。
動物の知能は子供の知能程度ですけれども、もし人間よりも知能が高かったら人間対動物になりますから自然の法則として主体的な存在が人間ということがわかります。同時に知能が低いということは我というものが薄く無邪気で純粋であるとも分かります。
無邪気で純粋なものはこの汚れた世の中には特に必要なものです。子供が少なくなればますます汚れます。無邪気で純粋なものが今輝いています。動物が流行っているのも理由の一つ。障がい者についても一つ。スピリチュアル思考についても一つ。汚れたものを浄化して調和してくれます。
これからどんどん大変な時代になってくるかもしれません。精神状態だけでもとにかく幸福にさせる。豊かになることを優先させる。どんな状況でも心を豊かにさせる。ちょっとした簡単なテクニックで精神を速やかに安定させることができます。
【自動】何かを失うことへの恐れが、変革を止めます。それはエゴの計画です。エンジェルボイス 吉田裕近
人間はそれまでの人生で作った考え方をなかなか切り替えようとはしない。これが頭の固さというものではないのか。早島妙瑞【自動】
あなたの自分の中に奥深く秘められている、内なる創造の花火を外から覆っているものを引き裂きなさい。 エドガーケーシー【自動】
自縄自縛は自分の思い込みから生まれる。もう終わったことなのに、いつまでも思い返してダメな理由をあげていく。だから失敗するんだと自分を誰かを責めてしまう。そうやって自分をいちばん傷つける。執着しないよう(素直)に生きることは簡単なようで難しいです。
~だからダメなんだ。というものは反省ではなくて卑屈であって、自分への暴力になる。それはすなわち自分への虐待とみなしてもいいのだろうと思います。無意識でやっている人は自己虐待について気づきましょう。
今世では必ずきっとどんな過去があっても乗り越えるという気持で行けば例え1000人に呪われ敵対されても前に進むことができる光明が見つかるはずです。不可能を可能にする人生。捨てる神あれど拾う神ありです!神はその人にできないことを与えない。負けちゃならねえ。
今世でも呪い代行がありますけれども、実際に私もサイトで藁人形と御札を販売している人をみかけましたが、ほんとうに思うことは気軽に呪いを依頼するということはどういうことになるのか?理解している人はいるだろうか。
呪いというものを依頼すれば相手が呪いを受けて不幸な目に遭ったとして、そのカルマは必ずいつかは返ってきますし、依頼したという記憶は消すことはできない。