この世は頭の良いところばかりクローズアップするけれども、「すごい」というものばかり見るのは体にも心にもよくない。
どんなときも感情的にならずに、冷静でいたほうがエネルギーロスがなくていいのだけれども、まだ幼いから弱点を突かれて爆発してしまう。感情をどうやってコントロールすればよいのかなやむ
また自分に関連して情報の更新がありました。お稲荷さまに関連してです。昔からあまりよろしく思っていなかったお稲荷様。しかし、遥か昔には厚い信仰をしていたことかあったような気がすることを思い出した。それを今はすっかり止めている。近いうちに失礼をお詫びに行ってきます。
もう今世はお詫びすることばかりで意識が遠くなりそうになるほど嫌になる。がしかし、過ちを犯すのは人間であり、それを気付き、正すのも人間なんだ。その過程が人生プログラムなんだからやむを得ない
親というものは子供の過去世の姿で、親にとっての子供は進化系なのだから、子供から見て親のダメな行動に目が行くこともある。そこは広い心でいた方がいいようです。タメなところに注目しないことか肝心ではないかと思います。
許せないと思ったら、ありがとうございます、ごめんなさい、お許しください、あいしています。を言いましょう。
この間、四つの言葉を唱えていたら、歩いていた女性に(((゜艸゜))クスクス 笑われてしまった。しまった唱えているうちに声がでかくなってしもうた。
カルマの軽い人というのを何度でも解釈しようと思います。カルマの重い人はご苦労も多いかもしれないが、才能深きひとです。反対に軽い人はご苦労は少ないが、社会的に活躍したというものも少ないかもしれません。大きなことをすれば大きな反動もあります。どれが良い悪いというのはないかもしれない。
親というものを大切に思うから自分というものを大切に思えるのではないかと思うように感じた。許せないというものは過去にされた自分の苦しみのことだろうが、もっと過去にはその苦しみを生み出した可能性があるのだから、最後には許さねばならない。
許せないという気持ちがほとんど起こらないようになったとして、あらゆるものに愛や調和や和解が現れるなら、カルマという法則から考えると苦しみは一切なくなると単純に思える。抱える苦しみがあるから現実に問題として起きている
現実的にボランティアなどで奉仕活動する方もおられますが、霊的に奉仕活動される方もいらっしゃいます。それはすべて自分の意志によるものです。自分がしているようでさせられているというような感覚もあるのかもしれません
愛する人に、本当のことを言われるよりも、だまされている方が、まだ幸せなときがある。ラ・ロシュフーコー
いつどんな時でもあなたを信じてください。いつどんな時でもあなたを愛してください。あなたにとって最高の人はあなた。あなたを尊重することは使命です。いつどんな時でもあなたであってください。いつどんな時でもあなたを生きてください。中森じゅあん【自動】
恋愛を一度もしたことがない女はたびたび見つかるものだが、恋愛をたった一度しかしない女は、めったに見つからない。ラ・ロシュフーコー
人の最大の幸福はいつやってくるのか?それは各個人の人生において最大の壁をぶち破ったときだろうと推測します。
幸福というのはいつ訪れるのか分からない。遅い人もいれば早い人もいることを忘れないことだ。苦しみがあったらその苦しみの原因を必ず理解するときが来る。いつでも準備を怠らないことだ。
私は思うが、死ぬような苦しみにあったことがないと、人の本当の苦しみは理解できないような気がする。人を救おうとする気持ちを持てないということです。自分が苦しくても人に与えられるような犠牲的な崇高精神にはならないということです。