ガンになった人は誰かを憎んでいる人はいないか?許せない人がいないか?を考えてみてください。許せない人が見つかったら、その人を言葉で向き合ってみましょう。目の前にいなかったとしてもイメージで向き合ってみることもしてみてください。
親にひどいことをされたような人は子供はトラウマを受けます。その子供はその子供にトラウマを与えます。ここで悪の連鎖を断ち切る家系上の強き魂がいなければ永遠に続いていきます。気づいたらその人が鎖を解き放たなければなりません。己の悪に負けず闘いましょう。
親になっている人に もしあなたに大切な子供がいるのならば子供はあなたのものではありません。子供は神様の授かりものだということでたいせつに扱いましょう。といっても過保護ではいけませんが・・・。
人間にはそれぞれいろんな魅力がありますなぁ。ひと目あってすぐに魅力に気づいてしまう人は得だろうか損だろうか。またそういう人は悪い部分も際立って見てしまうからやっぱり損なのだろうか。
昔、会社の同僚に上司がタチが悪いということでなんとかしてくれよおと冗談っぽく言われたので、まぁいつもお世話になっているしということで、気合いれてお祈りしてみました。すると1ヶ月後にその上司は地方に飛ばされてしまいました。お祈りおそるべし・・・
違うパターンで先輩の母親が入院したというので、大変だなぁと思ったのでお祈りをしていたら3日後に来て、早いなぁと思ったら「なんか急によくなっちゃって医者も不思議がってた・・・」と言ってました。これぞお祈りのきょうふ
慢性の腰痛がある人には簡単なアドヴァイスとヒーリングをやってみました。するとかなり楽になったようでるんるん?気分でした。今日は調子いいみたいだねっていうと「そう?まだちょっと痛いんだけどねー」なんて言ってましたが内心はかなりよくなったに違いない・・・ふふ
インディーズバンドの若い子にあったときには最初はちょっといろいろとあったけど、最後には仲良くなってけっこういいやつでしたのでお祈りしました。するとメジャーデビューが決まりプロになったので会社やめるとかって言ってたことも思い出しました。きっと何かあると感じる
やはり真剣に直で向き合って話しあうと深いところまで話してくれたりもするので人生での悩みをずっと聞いてあげて励ましてあげたりもしていました。だからそうやっているうちに聞き上手になってきたように思います。話すことは苦手だからそれでいいんだろうなぁ。
自分には何もできない。与えるものがないって思う人は他人に何か「しあわせになりますように」というような祈りをしてあげるだけで与えたことになるんですよ。自分の内観ばかりじゃなくて他人への奉仕はいろいろとできることがあります。他人にはどう思われたっていいのです。
人生の選択で、たくさんの人が私のために心配してくれたり、動いてくれたりしてくれた。あなたもそうだろうと思う。けれど私はすべて断ってしまっていた。理由は自分にはそれを受ける価値がないと思ってしまったからなのだ。
たくさんのチャンスをNO!と無駄にした。成功者ならおそらく即決だと思います。自分ならうまくやってみせる!と思うはずだ。
私は愛によって創られた存在だ。私が創り出すものもすべて、愛によって生まれる。私が発する言葉は、私の中にある愛に満ちた場所で生まれる。
恥ずかしいと思う人へ 嫌われたくない、失敗したくないと思いこんでいると恥ずかしくなってやがて前に出れなくなります。どうせうまくいかないと最初から諦めてしまう
親がどんなにアホだと思っても、アホなりの懸命な努力があった。その子供は親の苦労と努力があったから、気づけたりできるのだ。だから親に感謝、先祖に感謝なんです
天の神はあなたにたくさんのチャンスとプレゼントを用意してきました。でもあなたはそれを断り続けてきました。私にはその価値はありませんと言って...、あなたには多くの価値のある人です。需要があり、ニーズがあります。求められているのです。
ある程度の知識がなければ正確な答えを出すことは難しくなる。自分の中途半端な知識を使って感覚だけで判断すると本来の結果とはかけ離れてしまう場合がある。