BSトウェルブチャネルで映画を見ていました。
「イントゥ・ザ・ワイルド」
あらすじはウィキによるとこうありました。
裕福な家庭に生まれ、物質的に恵まれた環境で育ったクリスは大学を優秀な成績で卒業する。両親はハーバードのロースクールに進学することを望んだが、金で物ばかりを与える親に嫌気が差したクリスは学資預金を寄付し、身分証を切捨て、この世界の真理を求めアラスカへと旅に出る。旅路の中で様々な人と触れ合い、本当の幸せとは何かを知る。
映画を見ていると裕福な家庭に育っていても、親があまりにも物質次元の人物のように見えて仕方がありませんでした。この映画に出てくる主人公の青年は何か発達障害(ADHD)の人かもしれません。あまりにも壮大な冒険に出た彼は実際の体験によって何か自分のすべてを変えてくれるものが欲しかったのかもしれません。
こうして小説がベストセラーとなり、映画化されてたくさんの人に深い影響を与えることになったことをかんがえると彼の最後は良くなかったように見えるけれども、彼の仕事最大の供養になったのではないかと思われる。
1990年代のことであったようだが、ヒッピーという自由人的な生き方に憧れたようなところもあったのかもしれない。ただしそのような表現ではなく、あくまでも彼の真実へのスピリチュアル的な模索があった。
発達障害は問題のある家庭(愛のない物質次元の家庭)で起きることが多いようです。人間は誰しも親からすべてを学べるとは限らない。完璧な人はいないし、人生とはそういうものなのだ。
彼の人生表現は多くの人に光を与えた。彼の人生はどんなに裕福に恵まれて、自由なように見える生活も小さく見えるほどの人生であった。
最後の最後になってようやく彼のつかみたかった真実をつかむことができたのだ。
それは「分かち合うという愛」のことであった。つながりのことですね。
親の愛は偉大であると知ったのかもしれない。どんな親であろうと子を愛さない親はいないということだろうか。
彼の過ちは自分ひとりで生きようとしていたことであることがわかった。自然の中に生きたいという欲求は自然に逆らわないように溶け込むことであるが、それは深く真実をつかんだものだけが得られるものであって、彼はまだ若すぎたのだ。人に教え学ぶことの重大な真実を忘れていたのだろうか。
若い時にはよくわかったように振舞うことがある。ちょっと賢い人ならばよくあることだ。私もそれを考えてたくさんの人に言われたことを思い出した。
結局、頭で考えることだからそういうことになると。わかったつもりでいても、わかっていないこともある。たぶん死ぬまでわからないのだろう。私にはわからないことだらけだからだ。知識はどんなにふやしてもやっぱりわからないのだからなぁ。
だからわからなくていいやと思うようになったのだ。
人間とはわからないままに歩む存在であると理解した。
それでいいのだ。