いつの間にか忘れかけたいましたが
24年前の早朝突然家がグラグラ揺れました
まだ寝ていたので家族4人が飛び起きて
「地震だ地震だ!!」
何時もの地震と違い長い間揺れていました
これは大きいぞ!と主人が言い
皆で一階に降りテレビを付けました。
そこには想像を絶するような光景が映し出されていました
当時奈良に住んで居たのですが
近鉄電車はダイヤの乱れも無く動いていたので
主人と娘は大阪淀屋橋にある勤務先の会社へいつも通り出勤しました
行っても無理ではないかと止めたのですが
3人揃って出勤しました
心配していましたが案の定地下鉄は止まり
難波から淀屋橋まで一緒に線路の上を歩いて行ったのですが
同じように沢山の人が線路を歩いていたそうです
娘の会社では被災した方が多かったらしく
「電池が足りない。奈良には電池があるのでは・・」
上司に言われて次の日電池を持てるだけ買いました
ご家族が避難所で過ごして居られる方が多く
「おにぎり」も持ってきてください。
そう言われ私は朝から沢山のおにぎりを作り
娘に持たせました。
他にも必用と思われるものを用意して
大きなキャリーバッグに詰め込みましたが
娘がお母さんこれ以上は重くて無理よ・・。
そう言いながら出かけました。
次の日も娘のキャリーバッグには沢山のおにぎりや
他にも色々詰め込んで出勤しました
私は地震の一週間後に大阪の病院で手術入院をしたのですが
病院は被災された方で溢れていました
今日皆さんのブログに阪神大震災のことが書かれた記事を拝見して
そうだわ・・そう言えばあんな事こんな事あったわ。
地震に対する備えをしなければと改めて感じました。
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