養老孟司・評 『健康診断は受けてはいけない』=近藤誠・著

養老孟司・評 『健康診断は受けてはいけない』=近藤誠・著
毎日新聞2017年4月2日 東京朝刊

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筆の立つ先生だけに 面白い


院長のここでしか言えないお話!

されど書評

書評てのは新聞だけでなく週刊誌や月刊誌に必ずあるページです、どこかで小泉今日子がやってましたねご覧になった方も多いでしょう。私は趣味は読書ですと真顔で言う者です、本好きです、面白そうな本の書評はきっちり読む方なのですが、4月2日の毎日新聞です、あの近藤誠さんの「健康診断を受けてはいけない」(この人の本はタイトルは段々過激になって行きますね、慶応大学辞めてから勢いづきました。さすがに遠慮があったのでしょうと推測することですが)という新刊をあの養老孟司さん(ご存知大ベストセラー「バカの壁」の作者、以来何とかの壁シリーズも売れましたね)が書評書いてるのです。この人がこの本を!の特別編の様なものです。内容もニヤリとさせるもので、いかにも養老さんらしいと言うのか。養老さんの物言いは妙に構えることなく自然体で世の中の常識をリアリズムで斬って見せると言ったスタイルですね。虫好きで有名です、人工の街の暮らしから自然に戻れを根っこに持っている人です。改めて言うことではないでしょうが東大卒の医者です、東大医学部で解剖学の教授していた人です。近藤さんは慶大出。近藤さんの本に(内容に)反論というかたちで週刊誌や文芸春秋に載せる医者はあれこれいますが、書評を医者が書いてるのは初めてじゃないのでしょうか。養老さんは言います、癌と戦うなとい言うづけている人が今度は健康診断は有害無益だと主張している、この主張は既に学問の域を越えていわば政治化している、と。かつて他の雑誌でこの本について触れただけで著者の主張に賛成だと思われては困ると編集者からクレームが付いたんだそうです。話は、社会がシステム化、デジタル化していき、賛成か反対かの政治的議論になる傾向を述べ、現実には選択肢は無限にあるのだと進めます。健康診断を普及させて医療費を治療より予防にシフトさせたいお上(厚労省)の思惑通りに健康診断は企業への強制に明らかなようにすっかりシステム化されてます、それに抗うためには相応の根拠(データ)が必要だが、もちろん近藤さんは多くの文献で理論武装してます。が、多くが外国のもの、自分で集めようとしないのも(自らの研究結果を出さない)有名なことです。がんもどき理論も、ガンモドキ細胞を具体的に提示できれば(STAP細胞のように)一件落着になりそうですが、それをしようとしない。本人も見たことないのですから示しようがないのです、あくまで概念上の仮構ですから。異を唱える者の論難点はここです、そこまで言うなら現物を見せろ。でも示さない。だから攻めきれないのですがだから近藤理論が生き残れてもいるというわけです。STAP細胞は現物を提示したからこそ贋物と証明されたのですからね。そこについて養老さんは、そんなことを個人ができる筈もない。データを集めるにはどれだけの人手と手間と研究費がいるか、それを出してくれるのはこのシステムを動かしている人達だ、厚労省、製薬会社、医学界本流。データを集めたら集めたらで今流行りの忖度が働くのです、データは白黒どちらにも解釈できるものですから。明らかに近藤さんに好意的な筆致です、ので最後段でこう言います、ここまで書くと私は筆者の意見に賛成だなという判断を下される恐れがある、だから一言も賛成だとは書かない、と。私の意見は簡単だ、意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない、それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である、と。保守勢力が進歩的文化人を批判するときと同じ調子です、知性や技術で自然を制覇できると信じている、人の世の中もうまく回せると前提するのがリベラルだとの謂い。この辺りは養老さんの真骨頂ですが、〆はこうです、そう思うから身体のことは身体に任せるのである、と。進歩した技術で癌を見つけて治療しても抗癌剤で死んでしまう、治療しないでいいモノまで見つけるから禍を生ずるのだ、というのが癌と闘うな論です、がんもどき理論です。体のことは体に任せろ。普通に食べられて暮らせているならわざわざに病気を見つけに行くな。痛い時は痛いなりに、しんどい時はしんどいなりに過ぎて行くしかないのだ(こっちは森田正馬の世界ですが)。最初に養老さんが断っているように、この本を名の売れた医者が賛同するような書評を書くと、毎日新聞が製薬会社や医学界本流を敵に回すことになるでしょうし、広告が減るとの極々現実的な勘定への忖度(要請でしょう)が十分に働いて、こういう概況論と言うか持論風にまとめてお茶を濁したのでしょう。でもこの人が?のサプライズには十分に応えてはくれました。さすがの書き手というところです。

身体のことは身体に

 じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。

 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私にすればそれを意味している。

 そこが気になるから、あえてここで取り上げようかと思った。その裏には原発の問題がある。近年の技術は社会システム化してしまう。そうなると、それに関する議論がどうしても政治的になる。たとえば原発に賛成か、反対か、である。ポピュリズムという言葉をよく聞く。しかしこの場合、それより私はデジタルという言葉を思い浮かべる。デジタルはまさにゼロか一か、だからである。いわゆる現実には、具体的に考えるなら、あっちの端からこっちの端まで、無限の選択肢がある。でも国民投票ではゼロか一かを問う。英国のEU離脱なら、どこまでを英国が独自に決定し、どこまでをEUの取り決めに従うか、それをこれから具体的に交渉するだけのことである。英国が欧州から離れてよそに引っ越し、欧州と縁を切るわけではない。離脱だろうが、残留だろうが、最後はどこか中間に落ちる。それは当然であろう。人はコンピュータではない。

 私自身は健康診断を受けない。それは著者の主張のはるか以前からである。私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。念のためだが、私は医学部を卒業して学位も得ている。しかしそれは半世紀以上も前の話で、現代医学については素人同然、だから本書の内容の是非を言っても、素人の判断でしかない。ただし健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。著者はそう主張する。

 なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。

 ここまで書くと、私は著者の意見に賛成だな、という判断を下される恐れがある。だから一言も賛成だとは書かない。筋が通っている話にだって、賛成も反対もできる。私の意見は簡単である。意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。



ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/015/070/022000c#csidx5f7238992035b0194b812598ac51059
Copyright 毎日新聞

身体のことは身体に

 じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。

 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私にすればそれを意味している。

 そこが気になるから、あえてここで取り上げようかと思った。その裏には原発の問題がある。近年の技術は社会システム化してしまう。そうなると、それに関する議論がどうしても政治的になる。たとえば原発に賛成か、反対か、である。ポピュリズムという言葉をよく聞く。しかしこの場合、それより私はデジタルという言葉を思い浮かべる。デジタルはまさにゼロか一か、だからである。いわゆる現実には、具体的に考えるなら、あっちの端からこっちの端まで、無限の選択肢がある。でも国民投票ではゼロか一かを問う。英国のEU離脱なら、どこまでを英国が独自に決定し、どこまでをEUの取り決めに従うか、それをこれから具体的に交渉するだけのことである。英国が欧州から離れてよそに引っ越し、欧州と縁を切るわけではない。離脱だろうが、残留だろうが、最後はどこか中間に落ちる。それは当然であろう。人はコンピュータではない。

 私自身は健康診断を受けない。それは著者の主張のはるか以前からである。私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。念のためだが、私は医学部を卒業して学位も得ている。しかしそれは半世紀以上も前の話で、現代医学については素人同然、だから本書の内容の是非を言っても、素人の判断でしかない。ただし健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。著者はそう主張する。

 なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。

 ここまで書くと、私は著者の意見に賛成だな、という判断を下される恐れがある。だから一言も賛成だとは書かない。筋が通っている話にだって、賛成も反対もできる。私の意見は簡単である。意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。



ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/015/070/022000c#csidx5f7238992035b0194b812598ac51059
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身体のことは身体に

 じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。

 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私にすればそれを意味している。

 そこが気になるから、あえてここで取り上げようかと思った。その裏には原発の問題がある。近年の技術は社会システム化してしまう。そうなると、それに関する議論がどうしても政治的になる。たとえば原発に賛成か、反対か、である。ポピュリズムという言葉をよく聞く。しかしこの場合、それより私はデジタルという言葉を思い浮かべる。デジタルはまさにゼロか一か、だからである。いわゆる現実には、具体的に考えるなら、あっちの端からこっちの端まで、無限の選択肢がある。でも国民投票ではゼロか一かを問う。英国のEU離脱なら、どこまでを英国が独自に決定し、どこまでをEUの取り決めに従うか、それをこれから具体的に交渉するだけのことである。英国が欧州から離れてよそに引っ越し、欧州と縁を切るわけではない。離脱だろうが、残留だろうが、最後はどこか中間に落ちる。それは当然であろう。人はコンピュータではない。

 私自身は健康診断を受けない。それは著者の主張のはるか以前からである。私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。念のためだが、私は医学部を卒業して学位も得ている。しかしそれは半世紀以上も前の話で、現代医学については素人同然、だから本書の内容の是非を言っても、素人の判断でしかない。ただし健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。著者はそう主張する。

 なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。

 ここまで書くと、私は著者の意見に賛成だな、という判断を下される恐れがある。だから一言も賛成だとは書かない。筋が通っている話にだって、賛成も反対もできる。私の意見は簡単である。意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。



ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/015/070/022000c#csidx1b7010ff259209ab3cffb01bd5f4ab3
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身体のことは身体に

 じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。

 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私にすればそれを意味している。

 そこが気になるから、あえてここで取り上げようかと思った。その裏には原発の問題がある。近年の技術は社会システム化してしまう。そうなると、それに関する議論がどうしても政治的になる。たとえば原発に賛成か、反対か、である。ポピュリズムという言葉をよく聞く。しかしこの場合、それより私はデジタルという言葉を思い浮かべる。デジタルはまさにゼロか一か、だからである。いわゆる現実には、具体的に考えるなら、あっちの端からこっちの端まで、無限の選択肢がある。でも国民投票ではゼロか一かを問う。英国のEU離脱なら、どこまでを英国が独自に決定し、どこまでをEUの取り決めに従うか、それをこれから具体的に交渉するだけのことである。英国が欧州から離れてよそに引っ越し、欧州と縁を切るわけではない。離脱だろうが、残留だろうが、最後はどこか中間に落ちる。それは当然であろう。人はコンピュータではない。

 私自身は健康診断を受けない。それは著者の主張のはるか以前からである。私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。念のためだが、私は医学部を卒業して学位も得ている。しかしそれは半世紀以上も前の話で、現代医学については素人同然、だから本書の内容の是非を言っても、素人の判断でしかない。ただし健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。著者はそう主張する。

 なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。

 ここまで書くと、私は著者の意見に賛成だな、という判断を下される恐れがある。だから一言も賛成だとは書かない。筋が通っている話にだって、賛成も反対もできる。私の意見は簡単である。意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。



ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/015/070/022000c#csidx1b7010ff259209ab3cffb01bd5f4ab3
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 じつは書評するかどうか、かなり迷った。そもそも書評するまでもない。なぜならだれが読んでも、よく理解できるに違いないからである。文章は平易で、論理の筋は通っている。ゆえに余計な説明はいらない。ただ最近ある雑誌でこの本の内容にちょっと触れた。そうしたら編集者から訂正を求められた。私が「著者の主張に賛成だと思われると困る」という意見が付いてきた。もちろん雑誌にはそれを出版している側の都合や思いがあるから、素直に訂正に応じた。私は自分の意見を修正するのに、ほとんど抵抗がない。

 ではなぜ書評か。知る人は多いと思うが、著者は「ガンと闘うな」というお医者さんである。乱暴にまとめれば、その著者がさらに健康診断は有害無益だと主張したのが本書である。著者の主張はすでに学問の域を超えて、いわば政治化している。本書にちょっと触れただけで、訂正を求められたという事実は、私にすればそれを意味している。

 そこが気になるから、あえてここで取り上げようかと思った。その裏には原発の問題がある。近年の技術は社会システム化してしまう。そうなると、それに関する議論がどうしても政治的になる。たとえば原発に賛成か、反対か、である。ポピュリズムという言葉をよく聞く。しかしこの場合、それより私はデジタルという言葉を思い浮かべる。デジタルはまさにゼロか一か、だからである。いわゆる現実には、具体的に考えるなら、あっちの端からこっちの端まで、無限の選択肢がある。でも国民投票ではゼロか一かを問う。英国のEU離脱なら、どこまでを英国が独自に決定し、どこまでをEUの取り決めに従うか、それをこれから具体的に交渉するだけのことである。英国が欧州から離れてよそに引っ越し、欧州と縁を切るわけではない。離脱だろうが、残留だろうが、最後はどこか中間に落ちる。それは当然であろう。人はコンピュータではない。

 私自身は健康診断を受けない。それは著者の主張のはるか以前からである。私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。念のためだが、私は医学部を卒業して学位も得ている。しかしそれは半世紀以上も前の話で、現代医学については素人同然、だから本書の内容の是非を言っても、素人の判断でしかない。ただし健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。著者はそう主張する。

 なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。

 ここまで書くと、私は著者の意見に賛成だな、という判断を下される恐れがある。だから一言も賛成だとは書かない。筋が通っている話にだって、賛成も反対もできる。私の意見は簡単である。意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。



ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/015/070/022000c#csidx1b7010ff259209ab3cffb01bd5f4ab3
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