日本のマクロ経済に責任を持つ官庁がなくなった

以下の指摘には 納得

現場をしる官僚を ノーパンシャブ けしからんと追い出した結果

清く正しいが頭の中身は貧困な連中が残って 日本を貧しくした!

江戸時代から 何回も見た景色

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき.

歴史はくりかえす! ああ・・・

経済コラムマガジン

16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」

財務官僚の使命は財政の再建だけ

日銀が300兆円もの国債を買入れたことや長期金利がマイナスになったことなど、経済・金融を巡る環境が大きく変っている。ところが政府の政策が一向に変る気配を見せない。この原因を探るべく今週は官界に焦点を当て話をする。


まずこれらに深く関係する官庁は限られ、財務省、内閣府、日銀といったところが分析の対象になる。もちろん主役は最強官庁と目される財務省である。それにしても財務省の性格が前身の大蔵省から随分と変ったと筆者は感じる。

09/11/16(第593号)「民主党と官僚」で 述べたように、昔の大蔵官僚には積極財政派やマクロ経済に造詣が深い人が多かった。特に筆者がお会いしたことがある元大蔵事務次官の故相沢英之衆議院議員 (当時)は印象的であった。相沢さんは自民党の中では、経済に関する一番の政策通の政治家として知られ、当時、自民党のデフレ対策特命委員会の委員長だっ た。

相沢さんとの話の中でシニョリッジにまで話題が及んだことには筆者も驚いた。05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」で述べたように、相沢さんは「私は政府貨幣発行までは必要はないと思うよ。政府が国債を発行し、それを日銀がどんどん買えば済む話じゃないか。そう言えば昔、京都の経済学者(おそらく丹羽春喜教授)から政府貨幣発行の話を聞いたな。」と言っておられた。もちろん国債発行による財源を、財政出動に使うことを相沢氏は念頭に置いていた。まさに今日、日銀の方は相沢さんの考えに沿った金融政策を行っている。ところが財務省がそれを財源にした財政出動に一向に踏出さないのである。


ともあれ昔の大蔵官僚には積極財政派や柔軟な考えの人が多かった。景気が落込み、景気対策が必要になれば大蔵官僚はどこからか財源をひねり出してきた。国や国民にとって大蔵省は大変頼もしい存在であった。したがって人々も大蔵省に対して一定の敬意を払っていた。

と ころが財務省になってからはイメージが一変した。とにかく暗くなった。目指しているのは財政再建だけである。ただ財政再建と言っても、プライマリーバラン スという単純な数字合せである。したがって増税と歳出のカットだけが「命」と思い込んでいる。廻りが全く見えなくなった財務官僚は、自分達の目標達成のた めには手段を選ばないという印象を与えている。


大蔵省時代は、財政だけでなく経済の動向にも目を配っていた。一つは、景気が悪くなると税収が減ることが危惧されるからである。しかし消費税導入後このような配慮は必要ではなくなったと思っている。景気が悪くなっても消費税額はそんなに落ちない。むしろ税率さえ上げれば、差引きの税収は増えると財務官僚は算段している。

したがって日本経済の動向や国民生活がどうなっても構わないという風に財務官僚のスタンスは一変した。大蔵省時代がマクロ経済にも配慮する複式簿記なら、今日の財務省は単式簿記である。しかし頼りになる大蔵省時代の名残があるのか、財務省になって様相が一変していることに人々は気付いていない。


財務当局が様変わりした一番の原因は省庁改変を行った橋本内閣の行政改革である。これによって金融機関行政の大半が金融庁に移り、マクロ経済政策の方は内閣府に集約された。大蔵省から財務省になったことによって、残る省の使命は「財政の再建」だけと財務官僚は思っている。

大蔵省から財務省へ

大蔵省から財務省に変った時期が非常にまずかった。ちょうど大蔵官僚の過剰接待問題起っていたのである。追求された官僚は、民間(特に金融機関)に深入り した者達である。しかし彼等こそある意味で面倒見の良い官僚と考えられる。また彼等は現実の経済、つまり民間から話を聞き現場をよく知っていた。ところが このような官僚ほどがこの問題により批難の対象となった。

これ以降、官僚と民間との接触が厳しく制限されようになった。しかしこのことによって、現場を知らない官僚がますます現実離れすることとなった。この事件は日本にとって不幸の始まりになったと筆者は思っている。


昔 の大蔵省時代は、省内に二つの流れ(派閥と言っても構わない)があったと筆者達は感じる。一つはマクロ経済重視派であり多くは積極財政派であった。もう片 方は財政規律と財政均衡主義の財政再建派である。もちろん両者の中間派もかなりいたと考えられる。とにかく大蔵省時代は両者のバランスの上に政策立案がな されていた。

ところで過剰接待問題に関係した大蔵官僚は、前者の現実主義者のマクロ経済重視派が多かったと見られる。したがって大蔵省を追放された官僚は主にこれらの人々と筆者は認識している。したがって彼等がいなくなり財務省発足当時から、省内は財政再建派が主流派を占めたと考えられる。おそらく中間派も財政再建派になびくことになったと思われる。


大蔵官僚出身の政治家は多数いて、彼等も色分けできる。相沢英之氏や宮沢元総理などはマクロ経済重視の積極財政派と言える。先日「消費税率は上げるのではなく、下げることが必要」と物議をかもす発言を行った山本幸三衆議院議員や13/8/26(第766号)「財政が危機という怪しい話」で紹介した「消費税増税は亡国の道」と主張する宮本一三元衆議院議員も元大蔵官僚である。

筆 者は、大蔵官僚から政治家に転進する者には積極財政派が多かったと思う。考えて見れば現実派の官僚だからこそ政治に興味を持ったとも言える。しかし積極財 政派と目された政治家が、ガチガチの財政再建派に変身するケースも稀にある。野田毅前衆議院議員などはその典型である。

一方には根っから の財政再建派や財政規律派の大蔵省出身の政治家も少しいた。大平元総理がその代表であろう。しかし筆者は、大蔵省出身の政治家の中では、大蔵官僚時代にエ リートコースを歩んだ者ほどマクロ経済重視派であり積極財政派だったと考える(これにはケインズ経済学が当時全盛であったことが影響していたと筆者は思っ ている)。これに対し今日の財務省のエリートは、消費税の増税に熱心な官僚ということになる。


省庁改変と過剰接待問題によって財務当局の性格が変ったことが、日本に大きな悪影響を与えた。その一番は日本のマクロ経済に責任を持つ官庁がなくなったことである。一応、マクロ経済政策は、内閣府(旧経済企画庁)に移管されたことになっているが、この弱体官庁が責任を負えるものではない

そ れどころかこの頃には経済企画庁自体が異常になっていた。既に日本中で新古典派経済学、新自由主義経済学、供給サイド重視の経済学理論が席巻していた。ま たマスコミでも「小さな政府論」が大手を振るようになった。マクロ経済重視派のケインズ経済学が全否定されるようになったのである。内閣府(旧経済企画 庁)はこれらの変態経済理論に染められていた(経済産業省も同様に構造改革派の巣窟になった)。

内閣府は発足時から頭が完全におかしくなっていた。日本には絶対に適合しないIMFのマクロ経済シュミレーションモデルを導入するなどメチャクチャであったこれ以降、日本の官庁の経済予想は全く当らなくなった。今では「日本の潜在成長率は0.5%」とお話にならないことを「ブツブツ」とノイローゼ患者のようにつぶやいている


現実を相手にしなければならない首相官邸も財務省と内閣府を全く信用しなくなった。おそらくもう「匙」を投げていると筆者は感じる。安倍総理は、サミットと消費税増税に関して、日本の経済官庁と経済学者が全く信用できないので米国の経済学者を招聘している。16日の国際金融経済分析会合にはスティグリッツ教授を呼ぶ予定と聞く(前回、消費税の再増税の前にはポール・クルーグマン教授を招聘し話を聞いている)。

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