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あとはおまかせ
69連勝という破天荒な記録を誇った横綱、双葉山が、新興宗教に取り憑かれ、そのセクトの広告塔に利用された
そういうこともあったんですね
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和2年(2020)9月7日(月曜日)
通巻第6639号
なぜ不敗の横綱は、あの『邪宗』の門をくぐったのか?
昭和史の謎に、新しい光をあてて埋もれた真実を浮かび上がらせた
加藤康男『双葉山の邪宗門 ──「爾光尊事件」と昭和の角聖』(草思社)
憑依現象として片付けられる問題ではなかった。
69連勝という破天荒な記録を誇った横綱、双葉山が、或る時から
教団は爾光尊と称した。畏れ多くも御名御璽の「爾」である。
「角聖を救え」。作戦は開始された。
やがて説得に応じた双葉山は多くの弟子が待つ部屋(双葉山道場は
いったい、不出世の横綱に何が起きていたのか。
これまでにも加藤氏は張作霖爆殺事件に犯人捜しから、通州事件を
そのどれもが貴重な仕事である。しかし、こんかいの新作のテーマ
しかも爾光尊事件は、金澤が現場である。警察が踏み込んだときに
「私が天照大神だ」となのる女性教祖(長岡良子)の周りには、熱
教団の外苑には、理解者が多くいた。それも徳川無夢、亀井勝一郎
もともと双葉山は霊感の強い人で「相撲とは神業」と発言していた
そのうえ天皇の人間宣言がくわわって、人々は信仰の対象を探して
教団は世間から白眼視され、孤立しつつも教団本部を転々と移動し
「人生の大半を何ものかと闘いながら幕を閉じた双葉山と爾光尊(
邪宗といわれた大本は、時代を生き延び、今日も夥しい信徒を抱え
爾光尊(
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