韓国外相、大虐殺の歴史にフタして妄言 済州島を「平和と和解の象徴」とは

室谷克実

韓国外相、大虐殺の歴史にフタして妄言 済州島を「平和と和解の象徴」とは…

 「韓日中3カ国首脳会議が、2010年のように、平和と和解を象徴する島・済州(チェジュ)島で最も早く集まりやすい時期に開催できることを希望する」

 韓国紙・中央日報(5月21日)によると、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は、済州市で開催された国際フォーラムで、こう述べたそうだ。何たる妄言か。事実は「平和と和解を象徴する島」どころか、「大虐殺の怨霊(おんりょう)いまだに残る島」なのだから。

 1948年4月3日、済州島で勃発した暴動と、その苛酷な鎮圧過程で起きた大虐殺を「済州島4・3事件」と呼ぶ。

 事実関係は「加害者側証言×被害者側証言」のぶつかり合いで、確定はしていない。

 それでも明らかなことは、朝鮮戦争が起きる前の混沌(こんとん)とした状況の中で、南朝鮮労働党(=北朝鮮労働党の南部組織)が済州島で暴動を起こしたことが発端だ。

  「共産主義者の残虐性」をたたき込まれていた軍・警察と自警団、本土(朝鮮半島南部)から駆け付けた反共グループは、鎮圧するだけにとどまらず、「疑わし きは殺す」で、半年の間に、島民の2割以上を殺戮(さつりく)したとされる。実数として挙げられるのは4万人とも6万人とも

 この大虐 殺があったからこそ、在日韓国・朝鮮人には「済州島出身」が多い。ボート・ピープルとして日本に上陸したのだ。それは、今日で言えば「人道的に保護すべき 難民」だろうが、この時のボート・ピープルには南朝鮮労働党の党員やシンパも潜り込んでいた。その人脈は、日本の左翼政党や左翼組織に食い込み、今日に 至っている。今も彼らに揺り動かされている政党や政治組織が日本にはある。

 ボート・ピープルとして、日本社会に居住の地を確保した彼らの一部が、いつのまにか「強制連行されてきた朝鮮人の子孫」と名乗るのは、そんな関係からだろうか。

 「済州島4・3事件」は、保導連盟事件(=50年の朝鮮戦争勃発を受けて、当時の李承晩=イ・スンマン=大統領の命令によって、20万人以上が殺害された事件)とともに「韓国近代史の暗部」であり、今年も4月3日の済州島ではデモが吹き荒れた。

 その一方で、済州島は、今日の韓国人にとって「手軽な行楽地」だ。しかし、済州島旅行から戻った本土韓国人(半島部の住民)はしばしば、済州島を「ボッタクリの島」と呼ぶ。そう言われるだけの「島民性」があるのかもしれない。

 そういえば、済州島の漁民たちは、日本の排他的経済水域(EEZ)に侵入して漁をして拿捕(だほ)されると、「日本が取り締まるのが悪い」と、理屈にもならぬことを言う。

 ともかく、「韓国人による韓国人大虐殺の怨霊が残る島」を、真面目くさった顔で「平和と和解を象徴する島」と演説できる韓国の外相とは“素晴らしい能力の持ち主”であることは間違いない。

 だから、岸田文雄外相にアドバイスしておきたい。「まともに相手にしてはいけないよ」と。

 ■室谷克実(むろたに・かつみ)  1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活 動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがあ る

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