康範死して歴史に幕

渡部亮次郎
康範死して歴史に幕
文中に登場する作詞家は2008年4月6日ニ88歳で逝去した川内康範氏、政治評論家は故戸川猪佐武氏である。田中、早坂両氏既に亡く、それより早く児玉が死んだ。たった1人残っていた川内氏死して「角栄もみ消し事件」の一つが歴史の闇に消えた

世間では田中角栄が総辞職したのは立花隆の「田中角栄研究」と思われているが、違う。あの時の『文芸春秋』に同じく載った「淋しき越山会の女王」と言う記事だった。後に田中が私に言った。「とにかく真紀子に”あのこと”で連日ワーワー言われて、それで参ったのだよ」と。
角栄に神楽坂の芸者だった辻なる女性に男の子2人のいることは側近なら皆、知っていることだったそうだが、越山会なる角栄後援会の会計責任者、佐藤昭の娘・敦子が角栄との不倫の子であるとも喝破したのは、筆者・児玉隆也が初めてだった。 ・・・・

児玉によれば光文社の週刊誌「女性自身」誌デスク在任中、田中の(まだ幹事長)女関係を記事にしようとしたら、著名な作詞家が800万円を差し出して「止めてくれ」といった。
断ったが、社内では「児玉は田中からカネを取って記事を差し止めた」との噂が流され、とうとう社を辞める破目になった・・・

早坂茂三
秘書・・「3000万円を作詞家らに渡したが記事は止まらず、カネも返って来なかった」・・・・

それにしても3000万円がなぜ800万円にしかならなかったのか。おそらく作詞家と相棒の政治評論家(元読売政治記者)が山分けで猫糞しちまった残りが800万円だったのだろう。


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