森鴎外のおかげで 日本兵 3万人が 死んだ!

脚気一と征露丸

森林太郎(森鴎外)は4年間のドイツ留学で、最新の細菌学を修めて帰朝しました。まだビタミンの概念の無い当時、森は脚気菌の発見に躍起となります。森は「脚気の原因を証明できないのは、既に科学とは言えない」と真っ向から高木に反対し、脚気の撲滅は、陸軍・海軍の面子を賭けた医学上の戦いに・・・・
日清戦争では、麦米の混合食を支給しようとした台湾軍医部に対して野戦衛生長官の石黒忠直は「いまだ学理上適切とは言えない」と反対しています。しかし結果は、海軍の3名に対して陸軍は4,064人の脚気死亡者・・・
日露戦争での陸軍の脚気死亡者は27,800人にものぼり、見かねた陸軍大臣寺内正毅が、森の顔をつぶさないように戦時非常食の名目で、麦と米の混合食支給を発令し、何とか日露戦争に勝利することが出来た・・・・
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