通化事件?

我が子に伝える誇りある近代史
日本の行った戦争とは結局何であったのか

通化事件

戦争が終わっても、引揚者が無事に日本へ帰ることは容易でなかった。日本人の一部が国民党と組んで八路軍(共産軍)を攻撃したという理由で、昭和21年2月3日早朝、大規模な日本人狩りが行われた。戦前の中国が一つだと思っている日本人にはなかなか理解できないが、蒋介石の国民党と毛沢東の争いは根深いものがある。筆者の親戚が自らの体験を記した手記によると、3千人とも4千人ともつかない日本人が、零下30度の寒さの中、両手を上げさせられて八路軍(共産軍)に銃剣で追い立てられていた。日本人の男16歳から60歳が連行され、先頭から氷の上で射殺され川に投げ込まれたと言う。この列は途中で方向転換したが、親戚は旧通運会社の社宅に100人近くの人と押し込まれた。八路軍は、身動きできず酸欠で口をパクパクしている人達を、窓からライフルで撃ち、足元が血の海になったが死体を外に出すこともできなかった。一週間にわたる拷問と銃殺、あるいは凍死によって軍とは何のかかわりもない民間の2千人近く殺された。戦争が終わって半年経っても大陸ではまだこのような日本人に対する虐殺が平気で行われていたことを今の日本の若者は知らずにいる。筆者の親戚は、自らこの事件で生き残った者の一人として、事件の真相が「日本人どうしの殺戮だった」などと歪められて伝えられていることを嘆いている
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