「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と言った枝野幸男

福島原発の事故では菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していました。
菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました

あの日責任者達は何をしていたのか
2011年の福島原発事故ではメルトダウン(炉心溶融)の公表が発生から2ヶ月遅れ、政府が意図的に隠していたのが分かっている
東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が調査していました。
福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。
翌3月12日には建屋が次々に充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。
燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。
燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。

福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。
この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。
事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。
後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。
枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。
「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。

「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。
清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。
東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。
事故後の報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めた。
自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。
また地震直後には偵察機やヘリを離陸させ上空からの映像を撮影したが、これが大問題になった。
菅・枝野・北沢の3人は「自衛隊が命令なしに出動したのはクーデターだ!」と激怒して自衛隊の出動を禁じた。
そのせいで自衛隊は津波が襲ってくるのを知りながら活動できず、救助活動を始めたのはずっと後でした。
なお新潟地震や九州地震など他のすべての地震では、自衛隊は命令なしに出動するのが慣例になっていました。
なぜなら法律では県知事の出動要請を受けないと人命救助もできないが、それでは遅すぎるからです。
防衛大臣や総理大臣の命令を待っていても手遅れになるので、自衛隊は先回りをして出動後に許可を得ています。
 
3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。
清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。

枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は福島原発に関わるなと命令しました。
自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。
燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。

菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
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引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg

「なんだ、馬鹿野郎」
ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。
菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。
首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。
結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。
所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。
しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。

自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。
自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。
アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。

吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。

嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。
菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。
だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。
だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。
要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。
こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。
空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。
だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。
果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。
だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。
最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。
その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。