『ブギウギ』が触れない美空ひばりさん ブギウギが触れぬ「美空ひばり」というタブー 昭和の歌姫をめぐる因縁

 

※女性セブン2023年11月16日号

【全文公開】『ブギウギ』が触れない「美空ひばり」というタブー 昭和の歌姫をめぐる「因縁」と「確執」の裏面史 - ライブドアニュース

 幼少期から爆発的な人気を誇り、52才という若さでこの世を去った「永遠の歌姫」と、「ブギ」という一大ブームを日本に巻き起こした「ブギの女王」。どちらも昭和を代表する名歌手だが、共演回数は驚くほど少なかったという。2人に隠された秘密とは──。

【写真】ブラウス姿の趣里。他、和装でプロペラ機の前に立つ笠置シヅ子さん。趣里、水谷豊、伊藤蘭の家族ショットも

「あんたは、ほんまはここの家の子じゃけん」──10月2日からスタートした連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)の第20回(10月27日)の放送は、母親の故郷である香川県を訪れた主人公のスズ子(趣里・33才)が、自分は大阪に住む両親の子供ではないという衝撃の事実を知ったところで終わった。

「テンポよく進むストーリー展開が巧みで『この先どうなるんだろう』と、つい見てしまう作品だと評判です。放送開始から1か月が経ちますが、視聴率の大幅な下落もなく、いい水準を維持しています」(テレビ局関係者)

 水谷豊(71才)と伊藤蘭(68才)の一人娘である趣里が好演するスズ子のモデルは、戦後の日本で「ブギの女王」と呼ばれた笠置シヅ子さん(享年70)だ。

「主人公の母親・ツヤ役を演じる水川あさみさん(40才)と趣里さんは息がぴったりで、本当の母娘のよう。水川さんは大阪出身なので、いわば関西弁ネイティブ。趣里さんは彼女のことを慕っていて、よく方言のイントネーションを教えてもらっていました。水川さんも彼女をかわいがり、『うちの娘はどこにおるんかな~』といつも目で追っていました。現在は物語の2章となる東京編を撮影しています。

 ここからは、“ブルースの女王”淡谷のり子さんをモデルとした役を演じる菊地凛子さん(42才)、そして、作曲家の服部良一さんがモデルの人物を演じる草なぎ剛さん(49才)らが登場します」(ドラマ関係者)

 キーマンの登場で、ますます盛り上がる『ブギウギ』だが、笠置さんを描く上で、どうしても外せない人物がほかにもいる。彼女の“ライバル”であり、歌手活動の中で大きな鍵を握った、「戦後最大のスター」とも称される美空ひばりさん(享年52)だ。

 その名を知らない人はいないほどの大物歌手だけに、今後どうドラマに登場するのか期待が膨らむが、NHK関係者は声をひそめてこう話す。

現時点では、ひばりさんの登場は予定されていません。ドラマの関係者も『なぜここまでひばりさんに関する情報が出てこないのか』と不思議がっています」

「笠置はひどい女だ」

 原作本や原案がないオリジナル脚本の朝ドラも多いが、『ブギウギ』には『ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど』(現代書館)という原案が存在し、同書の帯には《朝ドラ「ブギウギ」原案本》の文字が躍っている。

 同書の著者でノンフィクション作家の砂古口早苗さんが口を開く。

「昨年夏、NHKさんから、この本を原作ではなく原案にしたいとお話がありました。拙書では、笠置さんとひばりさんの関係についても多くのページを割いています」

 笠置さんとひばりさんが出会ったのは1948年10月。すでにブギの女王としてその名を轟かせていた笠置さんは34才、一方のひばりさんは、11才ながら大人顔負けの歌唱力を持ち“天才少女”として知られる存在に。その年に発売された笠置さんの大ヒット曲『東京ブギウギ』を歌うひばりさんは、“ベビー笠置”として人気を博していった。

「当初笠置さんは、ひばりさんを売り出すのに使われた『ベビー笠置』という呼び名を使うことにも寛容で、彼女をかわいがっていたようです。ひばりさんにとって笠置さんは、『私がいちばん尊敬している先生です。(会えて)うれしさに胸がいっぱい』と語るほど憧れの存在。初対面の日に撮られた写真には笠置さんと会うために目一杯おしゃれをして、満面の笑みで写っているひばりさんの姿があります」(砂古口さん)

 だが、それからわずか3か月ほどでその関係に亀裂が入ることになる。

1949年1月、ひばりさんは念願だった日劇の小ホールで行われる公演に出演することになりました。まだデビュー前だった彼女は、笠置さんの新曲『ヘイヘイブギー』を歌うつもりで準備していたのですが、本番直前に笠置さんサイドから“『東京ブギウギ』ならいい”と通達されたのです」(砂古口さん)

 突然別の曲に変更させられたひばりさんは、練習していなかったために歌い出しを失敗してしまい、楽屋で悔し涙を流したというエピソードが残っている。

 2人の「因縁」はそれだけではない。

「1950年6月から笠置さんがアメリカツアーを行うことを知ったひばりさんサイドが、その1か月前の5月からアメリカツアーを行うことを決めました。ひばりさんの渡米直前でその事実を知った笠置さんサイドは、偶然とは思えない日程のバッティングに困惑。ひばりさんがアメリカで笠置さんの曲を歌うことを禁じたのです。それには持ち歌の少ないひばりさんは困り果てて、結果的にはアメリカで笠置さんのブギを歌ってしまいました」(砂古口さん)

 娯楽映画研究家で『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)を執筆した佐藤利明さんは、アメリカツアーについてこう語る。

「当時の全米公演の観客は日系人が中心でした。2人が回る会場はほぼ同じ。先にひばりさんが笠置さんの歌を披露すると、後から来て歌う笠置さんのオリジナル曲とは思わない人もいるでしょう。笠置さんがした通達は、自分の曲を大切にするアーティストにとっては当然の対策であり、笠置さんもそれほど海外公演に力を入れていたのです」

 その後、2人の確執をあおるような記事を芸能雑誌などが書き立て、この因縁は世間に広く伝えられることになった。事態を重く捉えたひばりさんのマネジャーは、笠置さんとタッグを組んでいた作曲家、服部さんの元へと向かい、いままでの不義理を謝罪。そして「和解」へと舵を切ることになる。

 1951年、2人が共演する場が設けられた。舞台となったのはNHKのラジオ番組。

「番組内で、笠置さんとひばりさんが一緒のマイクでそれぞれの持ち歌『東京ブギウギ』と『東京キッド』を歌ったのです。“大ブギの女王・笠置”と“小ブギの女王・ひばり”が共演した瞬間でした。そのときの写真は、当時の芸能雑誌の表紙にもなりました」(砂古口さん)

 これほどに大きな禍根を生んだ因縁と確執だが、実は2人の関係を悪化させたのはひばりさんの母だったという。

「ひばりさんの母、加藤喜美枝さんは、1949年に『ヘイヘイブギー』の歌唱を断られたことを機に、笠置さんを恨むようになったそうです。

 その後、喜美枝さんが記者らに『笠置はひどい女だ』と喧伝したことで、『ひばりサイドが笠置サイドにいじめられた』という話がまことしやかに伝わり、2人の不仲説が広まったというのが実際のところなのです」(砂古口さん)

 喜美枝さんは“ステージママ”の元祖ともいえる存在で、彼女が笠置さんに対する憎悪をたぎらせていたため、前述のラジオ共演を以ってしても、2人の間にできた溝は完全に埋まることはなかった。

 1957年、当時43才の笠置さんはまだ人気の座にあったにもかかわらず、突然、歌手廃業を宣言する。その後は個性派女優としてバラエティー番組やCMにも活躍の場を広げるが、歌手としてマイクを握ることは一度もなかった。奇しくも笠置さんの歌手廃業宣言の年に、ひばりさんは初めて『NHK紅白歌合戦』の大トリを務めた。

「ほとんど共演経験のなかった2人ですが、笠置さんがひばりさんについて語ったと思われる言葉が1つだけあります。ひばりさんが1947年に初舞台に立ち、わずか9才で、戦争への怒りややるせない気持ちが綴られた名曲『星の流れに』を歌い上げ、その日いちばんの注目を集めた様子を見て、『子供と動物には勝てまへんなあ』とつぶやいたのだ。早くからひばりさんの才能を認めていたのかもしれません。

 国民的大スターの2人が共演した作品を後世に残せなかったことは、芸能史の損失だと私は思います」(砂古口さん)

 ブギブームが終焉を迎え、ひばりさんが世間の人気を得るのと反比例するかのように歌手の世界から去っていった笠置さん。もしかしたら、ひばりさんの存在が彼女にマイクを置かせた??という見方はうがちすぎだろうか。

「NHKからは連絡を受けていません」

『ブギウギ』の原案本には約30ページにわたり、笠置さんとひばりさんのエピソードが綴られている。

「ひばりさんとの因縁や確執がここまではっきり原案本に書かれている以上、ドラマでも避けて通ることはできないはず。何より、ひばりさんは誰もが知る国民的歌手ですからね。当時のことを知る朝ドラ視聴者もいるでしょうし、彼女の登場を心待ちにしているでしょう」(前出・テレビ局関係者)

 しかしそんな期待とは裏腹に、ひばりさんが登場する気配は一向に見えてこない。前出の芸能関係者が話す。

「実はNHKは、これまでもひばりさんを正面から描くことを避けてきた。たとえば今年8月にBSプレミアムで放送された単発ドラマ『アイドル』は、戦前から戦中にかけて人気を博した明日待子が主人公。ラストにはブレーク前の美空ひばりさんを思わせる『美空和枝』が登場しましたが、いわゆる“チョイ役”でした」

 歌い手としての美空ひばりがこれまで登場してこなかった状況に、「あくまでも臆測ですが……」と前置きした上で前出のテレビ局関係者が明かす。

ひばりさんの実弟、かとう哲也さんは歌手としてデビューし、舞台や映画にも出演しましたが、賭博や銃砲不法所持などで何度も検挙され、暴力団の舎弟頭だと名乗ったことも問題になった。

 ひばりさん自身も暴力団関係者と懇意であることを隠さず、それを問題視したNHKは1973年の紅白で彼女を落選させた。そんなバックグラウンドがあるため、ドラマでひばりさんを描くのは難しいのかもしれません」

 もちろん朝ドラはフィクションで実在の人物がモデルでも、すべてが史実通りに描かれるわけではない。実際『ブギウギ』でも第3週?第4週にかけて、歌劇団のストライキ、通称「桃色争議」が取り上げられたが、原案本に登場する、ストライキの中心となった人物が劇中には一切登場しなかった。

「男装の麗人として知られた水の江瀧子さん(享年94)です。彼女には暴力団との関係などが取り沙汰され、『芸能界の闇』という暗いイメージがあるからかもしれません」(前出・テレビ局関係者)

 笠置さんとひばりさんの関係を描くには欠かせないアメリカ公演にも、大きな問題が横たわる。

「笠置さんは1950年にハワイやロサンゼルス、ニューヨークなどで公演をしましたが、ロサンゼルス公演の際、通訳を兼ねてステージマネジメントなどを手がけていたのが、ジャニー喜多川さん、メリー喜多川さん姉弟でした。この部分はバッサリ落とされるでしょう。いま、彼らの“影”を出すことはNHKとしてはできない」(前出・テレビ局関係者)

 ひばりさんの長男である加藤和也(本当は・・)さんに、彼女の『ブギウギ』への出演がないかを問うと、「NHKからは特にご連絡を受けておりません」と答えた。

 朝ドラが触れない笠置さんの裏面史を知ることも、『ブギウギ』を楽しむためのスパイスとなる。

※女性セブン2023年11月16日号

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