首里城復元、沖縄本島の史観に抵抗感 琉球王国へのノスタルジアばかり強調されるが…

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【沖縄が危ない!】首里城復元、沖縄本島の史観に抵抗感 琉球王国へのノスタルジアばかり強調されるが…離島住民にとっては「圧政の象徴」(1/3ページ)

2019年に焼失した首里城(那覇市)の正殿復元に向けた起工式が11月3日に行われた。私も壮麗な首里城の姿が1日も早くよみがえるよう祈っているが、気になることもある。

メディアを中心に首里城、ひいては琉球王朝へのノスタルジアばかり強調されることだ。首里城を拠点とする沖縄本島の権力が、離島に圧政を敷いてきた歴史は完全に無視されている。

玉城デニー知事は首里城が焼失した翌日、即座に上京した。首相官邸で菅義偉官房長官(当時)に会い、「首里城は沖縄の歴史と文化の象徴であり、県民の心のよりどころだ」と再建を要請した。

石垣島に住んでいる私は、知事のスピーディーな行動に感嘆し、「沖縄本島の住民にとって、首里城はそこまで大きな存在なのか」とカルチャーショックを受けた覚えがある。なぜなら、離島から見た首里城の相貌(そうぼう)は、本島とは少し違うからだ。

 

琉球王朝は、離島だけに過酷な「人頭税」を課し、石垣島では、地元豪族の反乱を武力で容赦なく鎮圧した。与那国島には「クブラバリ」と呼ばれる岩の裂け目があり、重税に耐えかねた住民が、人減らしのため妊婦を飛ばせた場所と言い伝えられている

離島住民にとって、首里城とは、どちらかと言えば「圧政の象徴」であり、琉球処分は圧政の崩壊と近代化への第一歩だった。

私は首里城の再建を機に、琉球王朝の「闇」も踏まえた歴史の再検証を期待した。だが、火災から3年、相変わらず県内は琉球王朝への礼賛ムード一色のように感じられる。

県紙「琉球新報」は正殿起工式を前にした社説で、再建する首里城について「琉球王朝の繁栄から琉球併合、沖縄戦、戦後復興に至る沖縄の近現代史を学ぶ空間になる」と指摘した。再建を「『償いの心』で日本政府は支援しなければならない」と論じた。

同紙に代表される沖縄の一般的な史観によると、平和で豊かな暮らしを享受していた琉球王国を日本が無理やり「併合」し、沖縄戦、米軍統治と続く悲惨な状況に引きずり込んだことになる。

この史観は「県民は日米の軍事基地化で土地を奪われた琉球の先住民族」という、近年国連でもはびこる主張に発展した。帰結は当然、「琉球独立論」である。

私はこれを、「本島エスタブリッシュメント(支配層)史観」と呼ぶ。まあ冗談半分だが、一面的な史観だけで首里城再建が進んでいくことに内心、ある種の抵抗感を禁じ得ないのだ。

新たな首里城は、離島の歴史をも包含する、優しさを体現した建造物になってほしい。基地問題で分断された県民に対しては融和のシンボルとなり、本土や海外に対しては、沖縄文化にとどまらず、日本文化の豊穣(ほうじょう)さをアピールする場であってほしい。

仲新城誠(なかしんじょう・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。現在、同社編集主幹。同県のメディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に『「軍神」を忘れた沖縄』(閣文社)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(産経新聞出版)、『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』(同)など。

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