国籍法改正は政治の知性の欠如

花岡信昭
国籍法改正は政治の知性の欠如 
だれもその意味合いを理解していない法律改正が実現しようとしている

法務省にいかがわしい「人権スクール」が存在するのではないか。そうとでも考えないと、この異常事態は理解できない。

改正案を考えるのは、法務省の役人たちである。最高裁の言うとおりに、法の不備をただそうとして何が悪いか、というのが彼らの立場だろう。なんらの疑念も抱かず、いいことをやっているという意識しかない。「法匪」というのは、こういう人たちのことを言う

法務省の不可思議な体質を象徴的にあらわしたのが、裁判員制度の導入ではないかとかねて疑問に思ってきた。「市民参加」という美名のもとに、なんとも噴飯ものの制度が始まる。

ただ これまでの 手続きさえ 整えば それで いいのだ
としか 映らない この問題
戦後体制の いいかげんさが いつまでも 通用すると 思っている
ようだが そろそろ 限界に きている
そうは 思いませんか
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« レバノン人歌... まさに日本国... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。