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5時から自席で 酒豪上司は危機管理の達人 べろべろでも的確 森永卓郎さんが残した言葉
5時から自席で 酒豪上司は危機管理の達人 べろべろでも的確 森永卓郎さんが残した言葉 話の肖像画 経済アナリスト・森永卓郎<14>
《昭和55~57年、日本専売公社(現日本たばこ産業)の主計課時代の仕事は、大蔵省(現財務省)から予算をもらってくるというものだった。大蔵官僚を見る目は厳しい》
専売公社の主計課時代は、大蔵省の主計局大蔵二係のほとんど下僕でした。
予算編成期になると、同係の前の廊下でずっと座って待機していないといけない。中で専売公社が提出した資料を見ている主査が「おい、森永ッ!」って怒鳴ると、2秒以内に駆けつけないといけない。遅れると逆鱗(げきりん)に触れるんです。
こっちは予算をもらえないと、えんぴつ一本買えないから言いなりです。大蔵官僚は周りがみんなひれ伏すので、自分が偉いと思い込んでしまう。
私はその後、59年に経済企画庁に出向しましたが、ここも大蔵省の植民地みたいなところでしたし、その後、民間シンクタンクでずいぶん彼らの仕事の下請けをやりました。だから、つきあいは40年近くになる。部外者として、彼らの生態を私ほど知っている者は、そうはいないんじゃないですか。
《官僚の批判を始めると止まらないが、素晴らしい上司にも出会った》
59~61年に出向した経企庁で出会った中名生(なかのみょう)隆さんは、一番尊敬する人物です。
中名生さんが計画官として異動してきた際、私たち部下に言ったことは2つだけ。1つ目が「悪い情報はすぐ上げろ。良い情報は上げなくていい」。2つ目は「自信がある仕事は締め切りまで引っ張っていい。でもダメだと思ったら即座に俺に戻せ」というものでした。
変わった人で毎日、午後5時になると引き出しからウイスキーを出して飲み始め、6時には真っ赤。それで午前1~2時ごろまで飲んでいるんですよ。
《ある日、中名生計画官の真価を目撃する》
経企庁は総理大臣の国会答弁を作成するのも仕事です。あるとき、野党から複雑な経済効果の試算を要求する質問が来た。これがどう考えても分からず、行き詰まってしまった。
そのときに中名生さんの言葉を思い出した。べろべろに酔っている彼のところに行き、「計画官、これがどうしても先に進みません」と相談しました。
中名生さんは「何年の経済白書の巻末資料を見ろ。そこにこういう方程式が載っている。その式にこの統計とこの統計のデータを入れろ」と即答。やってみたら、本当に一発で望む結果が出たんです。
彼は、危機管理のために毎日深夜まで待機していたんです。
《その後も同じようなことが何度も繰り返された》
ある年、フランスで行われた日仏経済専門家会議のときのことです。帰国時のタクシーの中で、私が経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部に資料を忘れてきたことに気づいた。
あわてて運転手に「戻ってくれ」と言いましたが、英語が通じない。真っ青になっていたら、同乗していた中名生さんが突然、流暢(りゅうちょう)な仏語で指示を与えた。それで事なきを得ました。
私は彼にお礼を言って、「なぜ会議では仏語を一切話さなかったんですか」と聞いた。
そうしたら「外務省には通訳専門官がいる。外交は少しでもニュアンスを間違えたら大きなトラブルになるからだ。言うべきことは、専門官が伝える。語学力をひけらかす必要はない」と言うんです。「この人すげえなあ」と思いました。
中名生さんは、のちに経済企画事務次官になりましたが、当然だと思いましたね。官僚にも素晴らしい人材がいるんですよ。(聞き手 岡本耕治)
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