日銀総裁の危うさと8月9日 大手町の片隅から 乾正人

 

日銀総裁の危うさと8月9日 大手町の片隅から 乾正人

昔、名のある落語家は、住所が符丁になっていた。黒門町の師匠といえば桂文楽、稲荷町なら林家彦六、そして根岸といえば、昭和の爆笑王・林家三平だった。

三平は、「どうもすみません」とサービス精神を武器に、テレビ創成期を駆け抜けた噺(はなし)家で、没後44年たっても根強い人気がある。

三平を支えたのが、妻の海老名香葉子さんで、今年91歳になる。息子2人を林家正蔵、二代目三平に育て上げた根岸のゴッドマザーだ。そんな香葉子さんから手紙とともに一冊の本が送られてきた。

「大大陸に陽は落ちて 満州引揚げ者たちの哀しみの記憶」(鳳書院)と題された本だ。

香葉子さんは、昭和20年3月10日の大空襲で、両親はじめ家族6人を亡くし、戦災孤児となったのはよく知られているが、満州からの引き揚げ者ではない。はて、と手紙を読むと、よくわかった。

「終戦の日が近づくと、沖縄戦や広島、長崎の原爆投下などが取り上げられますが、満州での出来事が紹介されることは多くありません。日本に帰還した人たちも高齢化が進み、存命する語り部は少なくなっています。『満州引揚げ者たちの哀しみを伝えたい』、そんな思いをしたためた」のが、この本だという。
白い高靴の「お咲ちゃん」

原爆が長崎に投下された昭和20年8月9日は、ソ連軍が日ソ中立条約を破って満州に攻め込み、在留邦人に暴虐の限りを働いた始まりの日でもある。関東軍の主力は、既に南方へ転戦しており、満州にいた150万人以上の日本人のうち、少なくとも24万5千人が命を落とした。

「大大陸に…」は、3部構成で、幼いころ命からがら満州から引き揚げた経験のある漫画家のちばてつやさんが、挿絵を描いた第1部の「お咲ちゃん」は、涙なくして読めない。ほんのさわりを紹介すると。

戦後だいぶたってから香葉子さんは、幼いころ、実家の玄関で見た親戚の「お咲ちゃん」が履いていた白い高靴(ハイヒール)の夢を3度見た。不思議に思って彼女の弟と連絡をとり、親戚一家が住んでいた中国・鞍山に向かうのだが…。

あとはぜひ、本をお読みいただきたいが、ちばさんは香葉子さんとの対談で、「ウクライナやガザのことを思うと、戦争を知っている人間が、戦争が始まるとめちゃめちゃな地獄になるんだよ、ということを伝えなければ」と強く語っている。
「金解禁」失敗と満州進出

第二次世界大戦は、1929年10月のニューヨーク株式市場大暴落に端を発した世界恐慌が発火点だった。金解禁に踏み切った日本は、企業の大量倒産を招き、失業者が街にあふれた。社会不安が増す中、五・一五事件で犬養毅首相が暗殺され、軍部は満州進出にのめりこんだ。

先月末、日銀は政策金利を0・25%に引き上げたが、さまざまな要因も重なって東京株式市場の暴落を招いた。翌日には急反発してとりあえず、日本発の恐慌危機は回避されたが、「利上げありき」の植田和男総裁のやり方は、危ない、危ない。

むろん、黙認した岸田文雄首相の責任も大きい。満州の悲劇を引き起こした遠因に、金解禁の強行があったことを忘れてはならない。(コラムニスト)

 

金解禁とは?

金輸出禁止・解禁・再禁止を簡単にわかりやすく解説するよ【3つセットでバッチリ理解できます!】

 

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