憲法から「幸福追求権」を、削除したい。

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加瀬英明のコラム  
「個人」や「幸福追求権」のおぞましさ

「日本国憲法」であれば、いうまでもないことだが、日本の2000年以上の歴史が培ってきた生活文化に適っていなければならない。
 だが、外国人であるアメリカ人が書いて、占領下にあった日本に強要したから、文化を全く異なっているし、翻訳臭がひどくて、私たちになじまない。
 第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 「個人」という言葉は明治に入ってから、西洋諸語を翻訳するために、新しくつくられた「明治訳語」だから、いまでも日本人の心に根づかない。江戸時代が終わるまで、日本人は人と人との絆(きずな)のなかで生きていたから、一人の孤立した人間として人を意識することがなかった。「個人」ではなく、「人間の尊重」「人間として尊重」でよいではないか。
 「幸福追求権」にいたっては、不平不満をあおって、かえって人を不仕合せにするから、憲法のなかでうたうのは、おぞましい。
 西洋で「幸福追求権」が、法律によって定められるようになったのは、日本で江戸時代に当たったが、支配階級による庶民の収奪と搾取が酷かったために、近代に入って人権や平等が求められるようになってからだ。

 イギリスの詩人ウイリアム・ブレーク(1757年~1827年)は、ロンドンを流れる「テームズ川のほとり、私の出会った顔にはどれも弱々しさと、呪いの烙印(らくいん)が刻まれていた」と嘆き、もう一人の著名な作家オリバー・ゴールドスミス(1728年~1774年)は、「富が積まれ、人は衰えゆくところ、国の歩みは道をはずれ、ますます悪の餌食(えじき)となる」と、憤っている。
 明治初年のお雇い外国人の一人だった、イギリスのウイリアム・ディクソンは明治9年に来日したが、「日本では西洋の都会にみられる、心労によってひしがれた顔つきなど、まったく見られない。老婆から赤子にいたるまで、誰もがにこやかで満ちたりている。まるで世の中に悲哀など存在しないかのようだ」と、書いている。
 世界のなかで江戸時代の日本ほど、庶民が物心ともに豊かで、自由を享受していた社会はなかった。庶民は武士よりも恵まれた生活を営んでいた。庶民はよく働き、よく遊んだ。

 歌舞伎は世界でもっとも絢爛豪華(けんらんごうか)な舞台芸術だが、庶民のもので、武家は観劇を禁じられていた。ゆとりがあったから、庶民は芝居、見世物、辻相撲、落語、楊(よう)弓場(ゆみば)から、活花(いけばな)、茶会、香道、書道、囲碁、将棋、園芸、花火、食べ歩き、団体旅行などの多くの余暇を楽しんだ。
 今日の日本はどうだろうか。このごろの人は身勝手な幸せを追うために、かえって自分を傷けて、不平不満をかこつている。幸せはあくまでも努力した結果として、ついてくるものだ。
 ついこのあいだまで、日本人は無事息災(健康で生活に障りがないこと)のありがたさに感謝し、損得で幸せを計ることがなかった。たしかに、幸福を享受している時には、意識されない。幸せは心のなかにあるもので、物のなかにはない。
 今日の多くの日本人が、「人生は楽の連続でなければならない」と、誤解している。これでは人生の真実から、ほど遠い。     
 憲法から「幸福追求権」を、削除したい。

(かせひであき氏は外交評論家)

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