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金日成と朴正煕側近の秘密会談記録 古澤襄
金日成と朴正煕側近の秘密会談記録 古澤襄 2014.04.30
朝鮮半島現代史を読み解くうえで、最高の傑作
北朝鮮の金日成と韓国の朴正煕が、一九七二年五月四日に双方の側近による秘密会談を平壌で行っていた
金日成が反米なのは当然としても、朴正煕も牢固たる反米主義者。米国に極秘裏に核武装計画をフランスと組んで1974年に韓仏共同事業で一年間で約10キロのプルトニウムを生産できる再処理工場の技術設計が出来上がった
韓国内の密告者の情報によってソウルの米大使館が知るところなって、ワシントンに極秘の情報評価報告書を送った フォード政権のキッシンジャー国務長官は深刻な衝撃を受けた
秘密が漏れたことを知った朴正煕は、結局は米国の強力で断固たる反対(すべては秘密に行われたが・・)に遭遇して渋々フランスとの契約を撤回
一九七二年の平壌における李厚洛・韓国中央情報部長と金日成の会談記録は注目に値する。この会談記録は李厚洛側近が保存し、17年後まで公表されなかった・・・・・
側近によると朴正煕は生涯、統一が出来るとは信じていなかったし、統一に関心もなかった
朴正煕について面白い記述がある。戦時中に満州の日本軍官学校を卒業して少尉に任官した朴正煕は、戦後、韓国軍士官学校に入って陸軍将校になるが、1948年に麗水(ヨス)叛乱事件に連座して軍事法廷で死刑判決を受けている。
麗水叛乱事件とは、共産主義者の指導下にある一部の韓国軍が、命令に服さず「人民共和国」を宣言した事件。朴正煕は韓国軍士官学校における共産党細胞の指導者だったとして逮捕された。これは李承晩(イスンマン)大統領によって減刑、その後、転向して軍に復帰している。
1961年、朴正煕大佐が軍事クーデターのリーダーとして登場したが、ワシントンのケネデイ政権は朴正煕の過去の経歴からして、共産党の秘密党員という疑 いを持っている。そしてCIAは大統領官邸がある青瓦台に盗聴装置まで仕掛けていた。朴正煕時代の米韓関係は冷え切ったものであった。
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