ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える

ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える現代社会の特殊な価値観と構造 2016.10.25   磯野 真穂

・・・

私の専門である文化人類学は、人間の多様な生き方を、長期にわたるフィールドワークの中で明らかにしていく学問である。その視点から眺めると、糖質制限はかなり特異な現象であるといえる。食は人間の多様性が如実にあらわれる場所であるが、一方で主食にあたる食べ物にとりわけ大きな価値が置かれることはほぼ共通しているからだ。・・・

しかし糖質制限の流行により、糖質の地位はかつてないほど地に落ちた。

糖質制限派のメッセージは過激なほどに明快である。『炭水化物が人類を滅ぼす』『日本人だからこそ「ご飯」を食べるな』といった本のタイトルに始まり、糖質制限の第1人者である江部康二氏の著書『主食をやめると健康になる』[3]の帯のメッセージは「ご飯・パンの糖質が現代病の元凶だった!」である。

これら書籍に目を通すと、糖質を中心とした食事の怖さがこれでもかというほど並び、しかもその多くが医師という権威ある人々によるものであるため、ふつうにご飯を食べていたら病気だらけの悲しい未来しか待っていないように思えてくる・・・

たとえばこんな具合だ。

穀物という神は、確かに1万年前の人類を飢えから救い、腹を満たしてくれた。その意味ではまさに神そのものだった。しかしそれは現代社会に、肥満と糖尿病、睡眠障害と抑うつ、アルツハイマー病、歯周病、アトピー性皮膚炎を含むさまざまな皮膚疾患などをもたらした。

現代人が悩む多くのものは、大量の穀物と砂糖の摂取が原因だったのだ。人類が神だと思って招き入れたのは、じつは悪魔だったのである。(『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏目睦著)・・・

白米に代表される糖質は、日本人が追い求め、そして実際に日本人を生かしてきた食べ物である。しかし21世紀に入り、その糖質を悪魔と呼ぶ人が現れた。当時の人がこれを聞いたら目をぱちくりさせるに違いない・・・

糖質はなぜここまで悪者になってしまったのか?

糖質制限派の主張できわめて興味深いのが、その絶対的な根拠を原始時代に求めていくところである。著者により多少のずれはあるものの、大枠で共通する糖質制限派の主張は次のようなものだ。

人類は700万年近くを狩猟・採集で過ごしており、その間、人類は高タンパク・高脂質の食事をとっていた。糖質が食事の中心になったのはわずか1万年前のことであり、人間の身体は糖質を大量に摂取するようにはデザインされていない。2型糖尿病、肥満、心疾患といった生活習慣病の大元は糖質過多の食事にある。・・・

注意したいのは、その事実が、原始時代の人々が糖質をほとんど食べていなかったとか、原始時代の食生活が人間にとってもっとも理想的であるといったことの証明にはならない・・

人類は時代や場所に応じて様々な食べ方をしているため、ある時代の人類が同じ食べ方をしていたという見方にはそもそも無理があるし、仮に一部の狩猟採集民が肉ばかりを食べて生きていたとしても、そのことと、かれらにとって肉食が最適かどうかは別の話しである・・・

農耕が始まってから1万年余しか経過していないため、人間の身体は糖質過多の食事に適応できていない」というパレオ派がよくなす主張に対しては、「1万年は十分な時間である」・・・

チベット人が標高数千メートルの高地で生活できるようになったり、乳製品を効率よく消化することのできる、進化したラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人々が現れたりしたのはこの数千年であることからわかるように、人間の身体はもっと短いタイムスパンでも変化しうるからだ。

人類はある時期環境に完璧に適応した健康な生活を送っていたが、時代が下るほどにそこから離れていったというパレオ派の考えは、進化についての誤解である・・・

もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば、栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから2割近く落ち込んだわれわれなのである・・・

明治や戦前の日本人は、総摂取カロリーの7〜8割が米飯(主に白米)だったにもかかわらず、2型糖尿病がほとんどありませんでした。当時の日本人の日常生活における運動量は、現代人の10倍近かったと思います。 結論としては、運動量が現代人くらいだと、白米を一定量以上食べると、とくに女性の場合は2型糖尿病のリスクになるということです。・・・

現代人、特に運動量のあまりない女性が白米をたくさん食べると2型糖尿病のリスクがあがる。白米を減らす、あるいは運動量を増やすとこのリスクを下げることができそうだ・・・

運動量が多ければよいのであれば、糖質がすべての元凶であるという糖質制限派の主張には齟齬が生じてくる

なぜ糖質制限はブームになりえたのか?

私はこの食事法が「人間本来の食事」「人類の健康食」6といった言葉と共に、万人にとって素晴らしい食であるかのように広がってゆくことに危惧を覚えている・・・

日本社会は、肥満が問題になる一方で、やせすぎの若年女性の多さとそれゆえの健康被害が懸念される国でもある。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、もっとやせたいと願って「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか? 成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは、「食べたいけどやせたい」という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという、現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、そのような社会では栄養不足によるやせの方がよっぽど深刻であるからだ[11]。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか? それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて、いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。

磯野真穂(いその・まほ)
国際医療福祉大学大学院講師(博士【文学】)。文化人類学者。

 

 

 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 中東の紛争で... 福島原発凍土... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。