アヤソフィアを博物館からモスクに 歴史を振り返る

西洋史なんて面倒と思っているかたにも

陳胡痒さんが わかりやすく解説

 

2020年7月12日日

トルコ、アヤソフィアを博物館からモスクに 世俗化の象徴に大きな変化

正教世界の事実上の盟主であり、東ローマ帝国の後継国家であるロシア連邦(ロシア帝室の先祖は滅亡前に東ローマ帝国の姫を皇后に迎えていた)はトルコとの関係で困難な国内状況になるでしょうね。
ロシアが自分たちのことをイスラム教徒に滅ぼされた東ローマ帝国の後継国家だと自負していることは国章からもあきらかなのです。

ロシア連邦国章

東ローマ帝国国章

余談ですがアメリカ合衆国は西ローマ帝国の後継国家を自認しています。

西ローマ帝国国旗

で、かつて神聖ローマ帝国を騙っていたドイツもローマ帝国の後継者を自認しています。


ローマ帝国の後継を自認する紋章を持つアメリカと、神聖ローマ帝国の時代を持つドイツって元から仲良くできるわけないのです。
で、米ロの関係って、突き詰めれば、395年のローマ帝国の東西分裂に端を発する一つのヨーロッパ・地中海帝国が、ラテン語圏とギリシャ語圏に分裂し、それが宗教的にもラテン語で宗教儀式を行うカトリックと、ギリシャ語やその他の現地語で宗教儀式を行う正教に分裂し、東西両帝国の国教になっていくわけです。
で、西ローマはゲルマン人の難民を受け入れたため、彼らに内部から乗っ取られて先に崩壊し、国教のカトリックと宗教権威の教皇とバチカンの官僚組織だけが残りました。そしてカトリックは宗教改革を経てルター派、カルバン派、英国国教会などのプロテスタントを生んで分裂していくわけですが、大本のカトリックは西ローマ帝国領域から発生したほぼ全ての国家と植民地に布教して勢力を拡大しました。今やプロテスタント国家として建国されたアメリカでも最大宗教会派になっています。
一方でギリシャ語圏の東ローマ帝国では政治的権力と宗教的最高権威との分裂が起きず、帝国と正教会は一体でしたから、正教会は自分の国を超えて布教をしようという意欲に欠けていました。西ローマ帝国と違って教会と一体になった東ローマ帝国が長生きしたことも理由でしょうね。あと宗教儀式を国語でするため、ラテン語が古語になってからも全世界でラテン語で宗教儀式をしていたカトリックと違って普遍性と統一性に欠けていました。マクドナルドとモスバーガーみたいなもんです。また正教会では宗教改革が起きず、プロテスタントに該当する勢力が生まれませんでした。そのため最大のライバルが異端ではなく異教のイスラム教なんですね。
ともかく東西ローマの分裂の因縁が米露の間にはあって、その根底には東ローマ帝国がオスマン・トルコに滅ぼされようとしているときに同じキリスト教文明なのに、カトリックと正教の対立やその他の理由から十字軍を援軍に送れなかったバチカン西欧諸国に対するギリシャ語文明・旧東ローマ帝国・正教世界の恨みというのがあって、今回のトルコのアヤソフィアモスク化という行為はラテン語・西ローマ帝国・カトリック文化圏と、ギリシャ語・東ローマ帝国・正教文化圏と、イスラムの3つの文化圏の対立に繋がっていく可能性があるということなんですね。

2020年7月14日

アヤソフィアのモスク化決定、ローマ教皇「大変悲しく思う」

じゃあ模範を示す意味でサン・ピエトロ大聖堂を博物館にしたらどうだ?
そもそもなんでこんなことになったのはカトリック側にも責任があって、1452年頃にオスマン帝国が東ローマ帝国の征服戦争を開始したとき、東ローマ皇帝コンスタンティノス11世はローマ教皇ニコラウス5世に西欧諸国の援軍を要請したんだけど、どの国もカトリックではない正教国への援軍に応じず、地中海貿易でコンスタンティノープルを重要な拠点としていて商社や銀行が支社を置いていたヴェネツィアとジェノヴァだけが傭兵を雇って援軍に送り込んだ。ようするに金儲けが絡まないカトリック国はイスラムの侵略にさらされたキリスト教国を見殺しにしたわけだね。
もしカトリック諸国が十字軍を援軍に差し向けていたら、東ローマ帝国は滅びず、アヤソフィアはモスク化されず、正教会はカトリックに統一され、アヤソフィアはカトリックのコンスタンティノープル大司教座になり、オスマン帝国の西欧侵攻も無かったかも。

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