的場光昭『現代語で読む蝦夷島奇観 ──アイヌ絵文献』

「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)4月13日

「アイヌ先住民」という左翼の虚説を完全に否定しつつ
蝦夷地の歴史を歴史文献からやさしく紐解いた労作である

   ♪
的場光昭『現代語で読む蝦夷島奇観 ──アイヌ絵文献』(展転社)


 貴重な文献であり、労作である。
 眼目は「アイヌ先住民」という虚説の否定にある。
いったい誰が言い出したのか、アイヌが日本人の先住民族だとか、考古学と歴史学では完全に否定されているが、これを標榜することで利権としている人々がいる。それも北海道には夥しいのだ。
 本書はアイヌの習俗を根拠として論理を展開し、アイヌの先住民族説を完膚無きまでに粉砕している。
 文身(入れ墨)の習慣があって、文字を知らないうえ、食習慣も異なった。衣裳から厠まで。絵が残っている。祈祷のやり方。病気。祭礼、婚姻。酒造、踊り。漁労のやり方。ラッコ乱獲から穴居跡と、総合的にその文化と伝統を比較すれば、アイヌは、縄文文明が開いた蝦夷地へ十二、三世紀頃に漂着し、棲み着いた緯がのみこめる。一方、源日本人といえる縄文人が北海道へやって来たのは二万四千年ほど前である。
 江戸幕府はアイヌ民族を保護していたことも鮮明となった。
 この本は村上島之丞(1760-1808)が残した『蝦夷島奇観』の現代語訳で、不明箇所を補完し、中学生にも分かるようにやさしい解説を施した。
 原書にはいくつかの写本があるらしいが、国立博物館が公開しているデータ画像を基本としている。また日本書紀、続日本紀、吾妻鏡とも比較しつつ、さらには新井白石の「蝦夷志」にも言及し、欠字、意味を補足した本格的な論考である。
 『日本書紀』神武天皇即位前紀に「又高尾張邑に土蜘蛛あり、その為人、身短くして手足長し、侏儒と相類足り」となっていて、註の箇所に高尾張は「葛城」と推定している点に注目し、著者はこう言う。
 「この説明は非常に重要な内容を含んでいる。北海道には旧石器時代から縄文・続縄文そして擦文文化人およびオホーツク文化人の遺蹟遺物が諸所にみられる。しかしアイヌ文化に関する古い遺蹟は殆ど見られない」(52p)。
 「アイヌは自然を敬い平和に暮らす民族であると盛んに宣伝されているが、著者が子供のころの北海道地図には多くのアイヌ同士の古戦場跡がしるされていた。よく知られ記録に残っているものとしては、宝暦九(1759)年、根室半島ノシャップのアイヌが宗谷アイヌを攻撃して、六十四人を殺し、二百余名を負傷させてものが有名である」(149p)
 「ロシア バイカル湖の畔ウラン・ウデより樺太から北海道に渡った旧石器人(縄文人)は大雪山を経由して今から約一万年前帯広に定住の居を構えた。十勝に移り住んだ縄文人は日高山脈を越えて西に移動し函館から青森(三内丸山遺跡)で大集落を形成し、さらに南下していった。一方、ロシア沿海州から南下した縄文人は高句麗に定住した(183p)
この後者の場合、評者は「縄文人」ではなく、「シベリアから南下した旧石器人」と書いたほうが分かりやすいと思うが。。。)。

 「中国人の土地の爆買いが問題になっている北海道で、アイヌを利用しての土地の爆買いや勝手な林道や河川改修が十勝の幌尻岳の麓で行われている。(中略)経営者は中国済南生まれで取材に対して天皇陛下を罵っていた」(182p)。
 北海道各地に縄文遺跡があり、東北とならんで間もなく世界遺産に登録される。その日本の歴史の始まりの場所が、外国人に乗っ取られる
 様々な記述から深刻な現状が浮かび上がってきた。

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