M-1決勝進出に匹敵する朗報だった
4月26日から使えるようになったばかりの片頭痛の新薬「エムガルティ(ガルカネズマブ)」(イーライリリー社)が大注目されている。
発端は、お笑いコンビ「オードリー」の若林正恭さんが、5月1日放送のラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)の中で相方の春日俊彰さんと交わしたトーク。若林さんは小学生の頃から長年苦しんできた慢性的な頭痛が、エムガルティを注射したおかげで劇的に改善したと語った。その効果は「M-1の決勝。2008に匹敵するくらいの自分としては変化」だというから凄い。
頭痛には、大きく分けて一次性頭痛と二次性頭痛がある。一次性頭痛は従来、慢性頭痛と呼ばれていたもので、CTもしくはMRIといった高度医療機器をもって精査しても脳内に明らかな異常の見つからない頭痛であり、主な頭痛としては片頭痛や緊張型頭痛、群発頭痛などがある。若林さんの頭痛は、一次性頭痛のなかの片頭痛にあたる。
一方二次性頭痛は、頭痛の原因となりうる異常が脳内もしくは体のどこかに存在し、この異常を治療しない限り頭痛が改善しない、また時には生命の危機に関わる可能性もある頭痛を指す。くも膜下出血や脳腫瘍による頭痛や、副鼻腔炎による頭痛は、二次性頭痛だ。また、頭痛に対して、市販の頭痛薬を使い過ぎることで頭痛が慢性化してしまう、薬剤の使用過多による頭痛(薬物乱用頭痛)も二次性頭痛に分類される。
一般的には大多数の頭痛持ちの頭痛は、明らかな頭痛の原因が見当たらない一次性頭痛であるがために、命にかかわることがないのだからとか、気の持ちよう次第などと軽く扱われて周囲の理解が得られず、患者は非常に辛い思いをしていることが多い。若林さんも子供時代には母親から仮病を疑われ、散々な目にあったという。
片頭痛に悩まされている人は、日本中で推定840万人。片側の頭がズキンズキンと脈を打つように痛み、痛みと共に吐き気や嘔吐、下痢などの胃腸症状や光、音、さらには臭いなどに過敏となり、頭痛が増悪するなどの随伴症状を伴う。時には動けないほどの発作が数時間から数日続くこともある。
しかも、その辛さは、親兄弟にすら分かってもらえないだけではない。近年までは医者にも「たかが頭痛」と相手にしてもらえなかったため、頭痛持ちの6~7割は痛みが起きても市販薬を飲む程度で病院に行かず、じっと我慢しながら日常生活をやり過ごしている人が多かった。というか、今でも病院に行かない人は少なくない。
エムガルティの登場はそうした人たちにとって革命的な朗報と言え、5月1日の放送後には、全国の頭痛専門外来にエムガルティを求めて受診する人が急増した。
しかし、慢性頭痛の名医として知られる東京女子医科大学の脳神経外科・頭痛外来の客員教授である清水俊彦医師は単純には喜べないと警告する。
「いい薬であることは間違いありませんが、濫用されてよい薬ではないのです」
エムガルディの効果
改めて「エムガルティとはどういう薬なのか」。清水医師に、基本的なことから聞いてみた。
「今年の1月に製造承認されたばかりの薬で、簡単に説明すると、実際片頭痛は起こっているんだけど痛みとしては伝達されない=痛みを感じないようにさせる薬です。保険適用される前に行われた治験では、1カ月の半分以上で頭痛が起こるような被験者に対してエムガルティを投与したところ、半年間も症状が出ないで済んだ人が1割いました。また、被験者の約半数は頭痛の起きる頻度が半分に減りました。
投与は1か月に1回の皮下注射。初回治療のみ2本の注射が必要で、2回目以降は毎月1本で済みます。中枢神経に作用する薬で、抗てんかん薬や抗うつ薬などのほかの片頭痛の予防薬で生じやすい眠気やめまいといった副作用もないとされている、優れた薬です」
いいことだらけに聞こえるが、何が問題なのだろう。
「エムガルティは片頭痛を根本から治す薬かと聞かれると、そうだと断言はできない
のです。
片頭痛は脳過敏による脳の異常な興奮によって引き起こされるので、痛みを止めるだけに終始するのではなく、脳の興奮を抑える治療をしなければならないのです。エムガルティは痛みを感じにくくさせる、ある意味ペインキラー的な作用の薬剤なので、患者さんが治療以前に獲得した脳過敏は改善されません」
脳過敏が改善されないまま放置されるとどうなるのか。
「脳過敏を放置すると、脳は次第にささいな刺激でも興奮しやすくなり、やがて慢性的な興奮状態に陥ります。すると脳の働きに混乱が生じ、頭痛、耳鳴り(頭鳴)、浮動性めまい、不眠などの症状があらわれてくる。いわば“慢性頭痛の成れの果て”ですね。我々の研究グループは2010年、このような状態に「脳過敏症候群」と名付け、学会で発表しました。慢性頭痛はちゃんと治さないと、脳過敏症候群を引き起こしてしまいます」
清水医師らが脳過敏症候群を発見できたのは、日常の頭痛診療に、脳波計を活用していたからだ。頭痛を専門に診るようになる前は、東京女子医大の脳神経外科でメスを握っていた清水医師にとって脳は見慣れたものであり、脳波計は使い慣れた道具。頭痛を診る医師の多くが実際に脳に触れた経験がほとんどない内科医が占めている中で、その存在は異色だ。
「近年の研究から、慢性的な頭痛はすべて脳の興奮性によって引き起こされることが明らかになってきました。といっても、脳の異常な興奮状態は、MRIを撮っても分からりません。だから多くの医師は、MRIやCT画像だけ見て『異常は何もありません』と患者さんを突き放すか、患者さんの自己申告だけを頼りに診断するしかない。
しかし私は、脳波によって、頭痛の患者さんの脳で何が起きているかを読み取るノウハウを確立しました。慢性頭痛の患者さんの脳は過敏で、頭痛が出ている時には興奮状態にあります。これからまでの慢性頭痛診療は問診が中心でしたが、これからは脳波による客観的な補助診断を活用するべきです」
処方には正確な診断が必須
厚生労働省は、エムガルティを処方できる医師を日本頭痛学会や神経内科学会、脳神経外科学会さらに内科学会のうち総合内科の認定医等に限定し、医療機関で片頭痛と診断され、過去3カ月平均で1カ月のうち4日以上片頭痛が発症している、既存の薬が効かなかった場合や何等かの理由で既存の予防薬の処方が不可能…などの条件に該当する患者に限って使用を認めるというガイドラインを出した。というのもエムガルティは、片頭痛の原因になる物質だけを狙い撃ちし、痛みを抑える仕組みになっているからだ。
「つまり、頭痛全般に効くわけではなく、片頭痛にしか効果がない。よって初診の患者さんがやって来て『エムガルティを処方して下さい』とお願いされても、処方できないことは多いです。それに1本45,165円(保険適応で3割負担の場合は13,550円)と高価な薬であることも、厚労省が厳しいガイドラインを設けている理由だと思います。急性期治療薬であるトリプタン製剤で十分に治まっているようなすべての片頭痛の患者さんにも使われるようになれば、現状厳しい日本の医療財政を圧迫してしまうでしょう」
しかも、日本のほとんどの頭痛外来では、「頭痛ダイアリー※」を活用しての問診による診断が主。清水医師は、「問診では正確な診断はできない」と懸念を示す。
「片頭痛と言うことで紹介されてきた患者さんの脳波を見てみたら『問診による診断と逆だった』ということはよくあります。問診による診断の限界ですね。
たとえば患者さんに『あなた月に何回ぐらい頭痛ありますか』と聞いたとします。実際は4~5回はあるのに『1回』と答えてしまう患者さんがいます。なぜか。軽い頭痛や目がチカチカすると言った片頭痛特有の前兆がなかった場合をカウントしていないんです。それなのに医師が1回という答えを真に受けて、頭痛の頻度は少ないと理解し、予防的な薬剤は処方せずに発作時のトリプタン製剤のみを処方をしていたらどうなると思いますか。
当然頻度の多い人は長年の過敏症状が蓄積していますから、一回の片頭痛発作に伴う痛みの水面下の興奮症状が強い。そのためトリプタン製剤が十分な効果を発揮せず、病状は悪化してしまいます。
それで、『おかしいな』と気づいてよくよく聞いてみたら、患者さんの自己申告が間違っていた、となる。
問診が大切であることは間違いありませんが、正しい診断と治療には客観的な証拠が必要です。脳波をとれば、その患者さんがどの程度、脳の過敏性か強まっているかは一目瞭然。それによって適切な治療方針が立てられる。
だから私は、脳波を取り、脳の活動状況を把握することは、頭痛を治療するうえで必須であり、是非とも普及させなくてはいけないと思っています」
慎重に判断した結果
若林さんの発言以降、清水医師のもとにもエムガルティを求める患者は大勢来ているが、脳波をみて慎重に判断した結果、発売一か月経過しても、処方に至ったのは未だ50人に満たないという。
「私自身が患者さんに使う場合は、まず頭痛の症状を“脳波”で確認した上で、既存の治療を行います。その上で脳波所見がある程度改善しているにも関わらず、痛みに対する不安感から月に10回以上、トリプタン製剤を服用してしまうような患者さんに対して、一度軽い痛みを忘れさせ、不安感を取り除く必要があると判断した場合に、処方するようにしています。使い方は非常に難しいし、問診で患者さんの自己申告に頼っていたら、不要な患者さんにまで薬を使ってしまう可能性が大きい。それは薬の濫用です。
それを防ぐためにも、必要のない人には必要ないと、脳波を見せて説明する必要があると思います。いい薬であることは間違いないが、濫用されてよい薬ではありません」
長年の苦しみから解放される、と喜んでいる患者の皆さんにとっては朗報であることは事実だが、安易に処方できる薬剤ではない。新薬に課題はつきもの。効果が強い薬ほど、投与の判断も難しくなるようだ。一日も早く適切な診断と効果的な処方が普及する日を待ちたい。