出光佐三  ──日本を愛した経営者の真髄

これは 見るべし!

出光?とか 知らないかたでも 

ともかく 騙されたつもりで 見始めよう

最初は 我慢 だんだん 飲み込まれます

仕事とは 商売とは 人生とは いいテーマです

 

海賊と呼ばれた男 出光佐三 「映画 日本人」1/2

海賊と呼ばれた男 出光佐三 「映画 日本人」2/2

 

以下 紹介記事

「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和三年(2021)6月30日 
   書評 
 終戦二日目に出光佐三は社員への訓辞を書いた
  「大東亜戦争は『消えた』のであり、勝負は決していない

 奥本康大『正伝 出光佐三  ──日本を愛した経営者の真髄』(展転社)

 『海賊と呼ばれた男』という映画を見た。五年ほど前だった。試写会だったか劇場だったかの記憶はない。
 映画は劇的なシーンを重ねて盛り上げているのだが、セットがみすぼらしくて、ずばり感動が薄かった。主演者の下手な演技もさりながら、評者(宮崎)が学生時代に、感動して二回読んだ出光佐三本人の『日本人にかえれ』の読後感とすごく違うのである。もっとも映画も原作本も主人公の名前は違ううえ、原作を読んでもいないので、映画の話はこれくらいで措く。
 本書を読んで、その違和感の原因が得心できた。
 出光佐三の先祖は宇佐神社宮司だった。大家族であり、苦学して神戸の高校にすすんで、丁稚奉公にでて社会を学んだ。
 若くして油をあつかう会社を立ち上げた。その無名の青年がひたすらがむしゃらに働く日常をじっと監察していた素封家は、その不屈の精神に惚れこみ、ポンと現在の価格に換算して一億円を佐三にあたえた。その恩人は日田翁。「返せとも言わないし、利息も不要。やりたいことをやってみればええが」。
 その頃、資源産業の現場を執拗に精密にみて廻っていた佐三は「あと五十年で石炭は廃れる」と予測した。三井三池炭鉱全盛、飛ぶ鳥を落とす勢いの頃である。
 型破りの行動力を伴って、官庁と軍を説き伏せ、或る時点から出光は海外へ商圏を急拡大した。昭和十二年には多額納税者入りし、国会議員にもなった。
 ところが海外への商圏拡大は仇となった。敗戦で抱え込んだ借金は、現在の物価価値に換算して500億円強だった。
不可抗力とはいえ、人生万事、波瀾万丈。

 なにも海賊的行為をしたわけではなく、日本精神、とりわけ教育勅語に則った社員教育をなし、ひとりの首も切らずに戦後はラジオ修理などもやりながら耐えた。家族のような絆で社員は結ばれていた
 社員の入社式で佐三の訓辞は『卒業証書を捨てよ』だった。だから、本書の奥付で奥本氏は肩書き学校名のところを「卒業証書は捨てました」と書いているのだ。そう、この本の著者は出光OBである
 石原慎太郎が出光佐三をモデルにした小説は『挑戦』である。
これも学生時代に読んでいるが、国際カルテルであるメジャーの徹底的な妨害にもめげずに、イランから自社タンカーで石油輸入に賭けた男の情熱、灼熱をテーマにした愛国的な作品だった。
 戦後の日の丸タンカーのことは年配者なら昨日のことのように覚えている。日章丸、英国の妨害、訴訟に怯まず、出光は堂々と民族資本としてイランから石油を輸入した。カルテル、メジャーの國際支配の壁をぶち破った快挙は、GHQ時代の閉塞感を吹き飛ばした。
 昭和天皇陛下は出光佐三を追悼して御製をおつくりになった

  国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ

 出光佐三の希望により、分骨された骨を収納した墓は尊敬した鈴木大拙が眠る同じ寺、鎌倉東慶寺にある。
 本書は海賊という歪んだイメージを正した正伝である。

 

(読者の声2)貴誌前号書評に関連してですが、出光が会社でつくった映画があります。
YouTubeにアップされています。
海賊と呼ばれた男 出光佐三 「映画 日本人」1/2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IBCtIrYtguI
  (松長生)

(宮崎正弘のコメント)木村功主演で、ほかに山形勲、松原智恵子ら錚々たる往年の俳優がでていますね。この映画、知りませんでした。有り難う御座います。

 

出光佐三 - Wikipedia

日経スペシャル 私の履歴書

 

映画の 名言と 配役紹介あり↓

「日本人」出光興産社内研修用映画 | OFFICE-IGNIS

 

 

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