中国で重大な地殻変動が起きつつあるのかもしれない。共産党内部の権力抗争ではない。共産党と新しい民間新興勢力との衝突である。これは、長期的には中国の成長の阻害要因となり、米中バランスに本質的な影響を与える可能性がある。

アントの上場中止事件

共産党と新しい民間新興勢力との確執がはっきりした形で現れたのが、アリババ集団傘下の金融会社アントグループの上場停止事件だった。

Jack Ma photo by Gettyimages

アントは、電子マネーAliPayの発行主体。中国最大のeコマースアリババの子会社だ。2014年に設立されたばかりだが、急成長。その企業価値は、約1500億ドル(約16兆円)にもなると言われる。これは、日本の3大メガバンクの時価総額の合計より大きい。設立されてからわずか4年のうちに、世界最大の金融会社になってしまったのだ。

アントは2020年11月に香港と上海市場での上場を計画していた。これによって345億ドル(約3兆6000億円)という史上空前規模の資金が調達できると考えられていた。これは、みずほフィナンシャルの時価総額にも相当する額だ。

発行計画は順調に進んでいた。ところが上場予定日直前の11月3日に、突然当局が待ったをかけ、上場は中止されてしまったのだ。

アリババ創始者のジャック・マーが、シンポジウムで、当局に対する批判的コメントをしたのが原因だったと言われる。それを読んだ習近平が、激怒したというのだ。

そうしたことがあったのかもしれない。しかしこれは、失言と当局の反発という単発的、偶発事件ではない。その底流には、深い原理的対立がある。これは、いずれ表面化するはずだった矛盾が表面化したものだと考えることができる。

今後どうなるか、はっきりしない点が多い。上場延期だけなのか、あるいは、さらに規制が強化されるのか?

 

12月14日には、中国政府がアリババ とテンセント のそれぞれの傘下企業に対し、独占禁止法違反で罰金を科すと発表した。中国政府による巨大ネット企業への管理が、さらに強化された。

共産党が予期していなかったIT産業の急成長

アリババやアントが急成長できたのは、これまで、それらの活動に対して規制があまり強くなかったからである。

もともと中国の改革開放政策は、訒小平の「抓大放小(大をつかみ小を放つ=大企業は国家が掌握し、小企業は市場に任せる)」という方針によって行われてきた。

4大商業銀行(中国工商銀行、中国建設銀行、中国銀行、中国農業銀行)は「大」であると考えられたので、国有企業だった。現在は、民営化されたが、公的企業の色彩が強い。

それに対してeコマースは民間に任された。そして、自由な経済活動が認められた。あまり重要な産業とは思われなかったからだ。

ところがその後、インターネットの普及に伴って、eコマースが急成長し、そこで用いる通貨としてAliPayが作られた。それが一般の取引にも用いられるようになり、極めて多数の人がAliPayを使うようになったのだ。現在、その利用者数は10億人を超すと言われている。

 

AliPayの流通によって極めて詳細な取引データが得られる。アントはこれを用いて信用スコアリングを行っている。それを融資の判断に使うのだ。ここから得られる収益がアントを支えている。前述した巨大な企業価値は、これによって生み出されている。

共産党の逆襲

こうした事態は、中国共産党が考えていたのとは異なる展開であったに違いない。そしてこれまでも、金融や情報を国家の手に取り戻すための方策を模索していたに違いない。

実際、規制は徐々に強化され、AliPayなどの特権的地位は、徐々に制限されてきた。その最終的手段が、中央銀行デジタル通貨であるデジタル人民元だ。これによって電子マネーの場合と同じように詳細な取引データが、中国人民銀行(および中国共産党)の手に入る。これは国民支配のための極めて貴重なデータだ。

デジタル人民元はいま実証実験がなされている段階だが、ここに参加しているのは4大商業銀行だ。AliPayや WechatPayなどの民間の電子マネーはどういう位置づけになるのか、はっきりしない。いまのところ、これらは中央銀行デジタル通貨のネットワークの中には入っていない。

仮に将来取り入れられるにしても、現在取引データを独占している現在の状況からはかなり変わらざる得ないだろう。

中国はすでに2019年に「暗号法」を制定している。その中で最も重要なのは、最高クラスの暗号は国家が管理するとしていることだ。これは、デジタル通貨によって得られる情報を中国政府(共産党)が管理することを狙ったものではないかと考えられる。

自由な経済活動によってこそ経済が発展するというのであれば、それは国家が経済活動をコントロールするという共産党の基本的な理念に矛盾してしまう。現在の状況が続けば、共産党は市場経済の中に融解してしまう。

市場経済活動=自由な経済活動と共産党の理念は、もともと相容れないものだから、どこかで衝突が起きるのは必然だった。いま起こっているのは、その最初の現れなのかもしれない。

中国の長期的発展力に重大な悪影響

アントの上場停止は、中国の技術開発に大きな影響を与えると考えられる。それは、中国の長期的な観点から考えると、決して望ましいものではない。

もともと中国におけるITは、中国の若者がアメリカの大学院で勉強し、それを中国に持ち帰ったことによって発展したものだ。

アメリカにとどまった人たちも最初は多かったのだが、中国での経済発展が進展するに従って、中国に戻る若者が増えたのだ。彼らは「ウミガメ族」と呼ばれる。こうした人々が中国の著しい発展を支えたのは、間違いない事実だ。それは中国国内において活躍の機会があるという期待に基づいたものであった。

そして実際、中国国内では、アリババやアントだけでなく、多数のユニコーン企業が現れた。その状況は、アメリカのそれに似たものになった。中国でも活躍の機会があるという期待が、これまでは満たされてきた。

ところが今回の事件で、「先端IT企業といえども、共産党のさじ加減次第でどうにでもなる」ということがわかった。自由な活動が制約なしにできるわけではなく、共産党の鼻息を伺いながらでしか活動ができない。

そうなれば、優秀な人間は、アメリカでの勉学を終えた後、中国に戻るのでなく、アメリカにとどまることを選ぶだろう。

Zoomの創始者エリック・ヤンは、中国の大学で学位を取ったあと、アメリカのIT企業に参加し、その後独立した。そして、コロナで事業を急拡大し、売り上げが急増した。まさにアメリカンドリームを実現しているわけだ。

こうしたことを見れば、それに続こうとするものが出てくるだろう。それは、アメリカの技術力を高めることになる。そして、中国の発展にとってはマイナスに働く。中国の経済発展は大きな打撃を受けることになるだろう。

科学技術の発展にとって最も重要なのは、自由な活動が認められることだ。このことは、すでに第二次大戦中に、アメリカがヨーロッパから優秀な頭脳を受入れたことで実証されている。

そして、1990年代におけるIT革命も、アメリカ人によって実現されたというよりは、インド人や中国人によってなされた。そうした人々が、中国の経済発展によって中国に移ったのだ。

しかし、今回の事件をきっかけに、その揺り戻しが起こるかもしれない。これは、中国の経済発展にとって深刻な問題となる可能性がある。

以上で述べたことは、中国共産党としても十分認識していることであろう。したがって、今回の決定は、単なる偶発的・一時的なものではなく、周到な検討の結果行われたものだろう。その意味でも、重要なものだ。

アメリカでは巨大IT企業に対する風向きが変る?

アメリカでも、巨大IT企業に対する風当たりは強くなっていた。

トランプ大統領は、シリコンバレーのIT企業に対して敵対的な発言を繰り返してきた。また、H1Bピザ(技能のある人に対して特別に変えられる就労ビザ)に対しても制限的な政策をとってきた。

その半面で、ラストベルト地帯に鉄鋼業や自動車工業を戻すと公言してきた。つまり、新しい産業であるIT産業ではなく、古い産業である自動車産業や鉄鋼業を復活させようとしていたのだ。

これは、アメリカのIT産業の成長にとって潜在的な障害になる。

またGoogleやFacebookが独禁法違反で提訴されるなど、司法面からの攻撃もある(ただし、これがどれだけ政治的なものであるのかはわからない)。

一般国民もまた、巨大プラットフォームに対して警戒を強めている。

ところが、次期大統領にバイデン氏が選出されていたことによって、状況が変わる可能性がある。

バイデン政権の対巨大IT企業戦略がどのようなものであるかは、まだはっきりしない面があるが、副大統領に就任するハリス氏は、シリコンバレーと密接な関係があり、新しい技術開発がアメリカの経済力の源であることを理解しているだろう。

こうしたことを考えると、トランプ時代とは政策が大きく変わる可能性がある。

もしそのようなことになれば、中国における上述のような変化と合わせて、技術開発力のバランスは、これまでとは大きく変わる可能性がある。

日本は巨人たちの闘いを眺めるだけか?

ところで、こうした変化の中で、日本はどのような立ち位置になるだろうか?

中国の大学が「中国千人計画」で、外国人のスタッフを集めている。待遇が良いし、研究環境も良好なので、日本からも、中国に赴任する人が増えている。

また、アメリカに長期滞在中の日本の研究者も増えている。

つまり、日本からの頭脳流出が増えているわけだ。こうしたことを考えると、日本が一番遅れてしまうことになりかねない。

コロナで日本のIT化の後れが暴露されたが、そこで問題とされたのは、ハンコを用いないといった程度のことだ。あるいは、ファックスから脱却しようということだ。米中間の最先端ITの戦いとは、まるで話のレベルが違う。

巨人たちの戦いに論評を加えるのはよいが、本当に必要なのは、日本の置かれたこうした状況を少しでも改善するために、地道な努力を続けることなのかもしれない。