10月8日、2024年のノーベル物理学賞が発表されました。
しかし、このノーベル物理学賞は、記銘に値する汚点というべき、恥ずかしい低見識な授賞でした。
今年5月に東京都美術館講堂で私たちが開催した「AIと教育」シンポジウムに登壇された、甘利俊一先生と福島邦彦先生のお二人によるはるかに先立つ本質的な貢献が、きれいさっぱり拭い去られている からです。
また、この受賞に対して異を唱えたり、ノーベル財団に対して抗議したりする動きが日本にないことは、さらに救いようがありません。
皆さんよろしいでしょうか。
ニューラルネットワークというのは、いまやインテルが寡占するチップ、マイクロプロセッサーがそうであったように、かつて「日本のお家芸」だった のです。
「ほとんどの先駆的業績は福岡や大阪で生まれたものである」という厳然たる事実 に、改めて目覚める必要があります。
いかに今年のノーベル賞が噴飯ものであるか、NHKの報道 で見てみましょう。今年の物理学賞は次の2人に授与されます。
●プリンストン大学(Princeton University, NJ, USA)のジョン・ホップフィールド (John J. Hopfield)博士
●トロント大学(University of Toronto, Canada)のジェフリー・ヒントン (Geoffrey E. Hinton)博士
「彼らの、人工的な『ニューラルネットワーク』による機械学習を可能にする基礎的な発見と発明に対して(“for foundational discoveries and inventions that enable machine learning with artificial neural networks”)」ノーベル物理学賞を授与するという。
馬鹿もいい加減にしてもらいたい と思います。
ホップフィールド博士の主要な仕事として知られる「ホップフィールド・ネットワーク」は、元は物性物理から派生した仕事です。
自然な連想記憶を可能とする系として1982年に提唱、歓迎され「第2次AIブーム」の火付け役となったものではあります。
しかし、この仕事より10年も先立つ1972年に発表された甘利俊一先生(東京大学名誉教授・日本数学検定協会会長・理化学研究所栄誉研究員ほか)のお仕事の焼き直しに過ぎません。
少しでも見識のある解説であれば「甘利=ホップフィールド・ネットワーク」と、甘利先生が筆頭に記される日本発の業績であることは、天下の広く知るところです。
ヒントン博士と彼の研究室グループの業績でも同じことが言えます。
AI大手を支える主要なエンジニアが軒並みトロントのヒントン研究室出身であることは厳然たる事実です。
しかし、端的にその原点の一つ、「バックプロパゲーション」の仕事(1986)はやはり、同じ甘利俊一先生が1967年、第1次AIブームの発端となったニューラルネット実装の元祖、ローゼンブラットのパーセプトロンへの改良案として提出された「Theory of adaptive pattern classifiers (Amari, 1967)」が、世界の人工知能史における原点 であることは、これも少しものの道理を知る人なら、誰でも分かるところです。
この当時、ヒントン博士はいまだ学生でした 。
彼らが甘利先生のお仕事に追随できたのは実に19年後、その当時、どうにか早く動くようになったコンピューターの計算力を背景とするものであって、人類史への貢献は「アマリ」によるものです。
福島邦彦とネオコグニトロン
ヒントン博士たちの名が一般にも広まった一つの端緒は「深層学習 Deep learning」の成功(2006) で、これ以降、ヒントン研究室OB・OGがビジネスを含むAI界を牽引し、2012年のグーグル・キャット以降であるのは周知かと思います。
しかし、この「深層学習」という発想もまた、日本人研究者が、ヒントン博士たちの試みの30年近く前に、大阪(当たり前ですが、日本です)で発想、実装し実現していた ものにほかなりません。
開発されたのは福島邦彦博士 です。
当時、NHK大阪技研に勤務しておられた福島先生 は、デイヴィッド・ヒューベルとトールステン・ヴィーゼル両博士による、視覚認識の階層型ニューラルメカニズム(1981年ノーベル医学生理学賞)を参考に 、全く独自に多層・畳み込み型ニューラルネットワーク「ネオコグニトロン」をまず理論的に確立(1978)。
次いで、実装(1979)リンクの論文は1980年ですが、いずれにしても1970年代、「第1次」と「第2次」のグローバルなAIブームの谷間にあって、日本人研究者が営々と基礎研究を継続する過程で創り出した、世界史に残る金字塔にほかなりません。
明らかに世界で最初の「ディープラーニング」システムは、日本・大阪で、ヒューベル+ヴィーゼル両氏の業績を基に福島先生が独自に考案された完全なオリジナルです。
ちなみに私の本「日本にノーベル賞が来る理由」に始まる一連のノーベル賞原稿は、本連載の原点、日経ビジネスオンライン「常識の源流探訪」から始まりました。
その主要な「ネタ元」は、実はヴィーゼル先生その人であります。
スウェーデン人超大物ノーベル賞受賞者として、ヴィーゼル先生 は大江健三郎氏への文学賞授与など、財団側の様々なバックヤードに関わってこられました。
今年100歳、いまもお元気ですが、すでにノーベル賞の選考からは外れておられます。
もしヴィーゼル先生が関わっておられたら、こんなみっともないノーベル物理学賞は決して認めることがなかったでしょう。
ノーベル賞は「本当の原点」を創始したパイオニアに授賞することに、ある矜持をもっていました。
分かりやすい例は、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんのケースでしょう。
当時の委員会は良心的に、また徹底してバックグラウンドで調査を行い、本当に最初の貢献を成し遂げた人を割り出し、彼/彼女を正当に評価することに誇りを持っていた。
島津製作所の田中さんとしては青天の霹靂だったと思いますが、それがノーベル賞の美点であった。
しかし、今のノーベル財団や選考委員会は、それとは違う計算をするようになったように見受けます。
現実的判断に流れたノーベル賞の「汚点」
業績を年次で整理してみます。
1967:甘利 1972:甘利 1978:福島 1982:ホップフィールド 1986:ヒントンら 2006:ヒントンら
人類史に「ニューラルネットワーク」で貢献した人を順に並べてノーベル賞を与えるならば
ウォルター・ピッツ(1923-69) フランク・ローゼンブラット(1928-71) マービン・ミンスキー(1927-2016) シーモア・パパート(1928-2016)
らの物故者以外、存命のパイオニアとしては、誰が何をどう誤解しようとも「甘利俊一」を除いて考えることはあり得ません。
ないとしたら 単に不見識なだけです。
つまり、今年のノーベル物理学賞は、まことに不見識 と言わねばなりません。
まだ編集部と相談せねばなりませんが、本稿は英語でも出稿・掲載を考えており、そのリンクを含め、ストックホルムのノーベル委員会にも、一東京大学教官としてですが、抗議文を送付する念頭です。
今年のノーベル物理学賞を、ニューラルネットワークに出すのであれば、物理学者である「ホップフィールド」を残すとしても、
甘利俊一 ホップフィールド 福島邦彦
の3人が本当のパイオニアへの授賞であれば、妥当になります。ところが、ストックホルムはその正しい判断を下さなかった。
では、どうしてそんな「不見識」に、ノーベル物理学賞の選考委員会は流れたのか?
政治化するノーベル賞と平和賞、文学賞
2024年のノーベル平和賞は「日本原水爆被害者団体協議会」に授与されました。
ノーベル平和賞はノルウェー国会が選び、オスロもストックホルムも決して表立って認めることはないでしょうが、私は「今年」の平和賞のこの選考の傍らに、日本に申し訳ないと(さすがに)考える、古くからの財団側スタッフの意向があるように見ています。
例えば1968年、川端康成がノーベル文学賞を授与された理由を、ノーベル財団は「日本(人)の心の精髄を優れた感受性で表現する物語の巧みさ(“for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind”)」と記している。
なぜわざわざ1968年、「日本(人)の心」に配慮せねばならなかったのか?
その理由の一つは 同年の物理学賞を受けたルイス・ウォルター・アルヴァレズへの単独授賞があります。
彼は、1945年に広島に投下された原爆の起爆雷管部など、兵器としての心臓部を開発したのみならず、自ら飛行機に乗りたがり、8月6日「B-29」 に乗り込んで広島上空40キロほどの地点で、原子爆弾爆発の威力をラジオゾンデで測定しています。
それら囲んでの記念写真なども残っており、帰りの機内から息子に手紙すら書いています。
長崎の効果測定にも関わった人物であることが、エミリオ・セグレ博士の著書その他に活写されています。
「広島原爆を作るのみならず、投下側として効果測定に参加した物理学者」アルヴァレズ博士は戦後、素粒子原子核実験物理学に誰が見ても明らかな莫大な業績「も」ありました。
物理学会からの圧力もあり、ノーベル賞として折れないわけには行かなくなったとき、潜在的な「日本からの猛烈な非難」を避ける意味も含め、セットにされたのが「なぜか1968年に出た、川端のノーベル文学賞」といった内容は「日本にノーベル賞が来る理由」にも記した通りです。
ノーベル物理学賞にニューラルネットワークが選ばれた理由について、いろいろピント外れなことが記されているのも見ましたが、「検出装置」の基礎開発に対しての授賞という一貫性を持っています。
すでに「機械学習によるデータ駆動科学測定」はノーベル物理学賞を複数出しています。
2017年の重力波検出 2020年のブラックホールの観測
は分かりやすい例と思いますが、それ以外にも、様々な実験系でデータ駆動型のデータ検出はすでに一般化しており、これらに対する表彰圧力があるのは、ノーベル賞として伝統的な話に過ぎません。
今年のノーベル物理学賞は、明らかに最終選考時点で
甘利俊一 ホップフィールド 福島邦彦 と ヒントン
まで絞られていたはずです。物理学者であるホップフィールド博士に関しては、米国物理学会会長職などにもあったことから、様々な背後圧があったと考えられます。
これに対して、甘利先生、福島先生は国際政治とは無関係の純然たる基礎研究者で、背後圧とは完全に無縁。ノーベル賞は分野違いとお考えですので、全く恬淡としておられます。
とはいうものの、ノーベル財団もさすがに、授賞後お2人に言及しないわけにはいかず、当然ながらお名前に触れています。
ここで、ノーベル賞の科学3賞が「3人まで」というとき、「ホップフィールド+甘利+・・・誰?」というとき、本当のパイオニアを選ぶのではなく、「ヒントン」という現実と政治を選んだ点を、私はノーベル賞選考の「現実との妥協」と見ないわけにはいきません。
今回、ヒントン博士に授与しなければ、もう「ニューラルネット」への授賞はなく、ヒントン博士はノーベル財団と縁がないことになります。
翻って、ジェフリー・ヒントン氏個人は、いかにもな英国紳士らしく、AIの持つ潜在的な脅威などにも積極的に言及、自由な発言のためグーグルを去るといった挙動も、今後のノーベル財団がAI界全体に働きかけるうえで「受賞OB」として抱え込んでおきたい人材になります。
そもそもヒントン氏自身がグーグルで開発の前線に立っていたわけで、彼の学生だったイリア・サスケバー氏の(かつての非営利団体だった)OpenAIなどが「生成AIブーム」を巻き起こすなど、ヒントン氏の「受賞後」は、ストックホルムにとっても様々な意味で有益です。
だいたい、ヒントンさんはまだ77歳 で若くて元気です。
甘利先生も福島先生もお元気 で、プロジェクトをご一緒する甘利先生には来週も東京大学のある本郷まで出て来ていただくなど、活発に活動しておられますが、揃って88歳になられました 。
ヒントン氏よりシニアであるのは間違いありません。
何であれ、真のパイオニアをスルーし、現実に流れた「ノーベル賞の汚点」は、それとして明記しておく必要があるように思います。
ここでは、甘利さんらしい、素晴らしい、スパイスの利いた「もうちょっとだよなー、ディープラーニング」と、授賞後直ちに公開された甘利先生の祝辞をリンクしておきます。
すでに甘利俊一、福島邦彦両博士は、ノーベル賞受賞者を超えた存在になっている わけです。
古くはトーマス・エジソン(幾多の発明がありノーベル賞なら1ダースほど受賞して不思議ではない)、ジョン・フォン・ノイマン(言わずと知れたコンピューターの父)から、スティーヴン・ホーキング博士(逝去後に2020年、ロジャー・ペンローズが受賞)に至る「超ノーベル賞級」の殿堂に輝く、人類の科学史の星として記される存在になっている。
私が一番強調したいのは、日本の若い世代に、いまAIとか生成システムとか言っているものの、主要な原点は実は日本に根がある ことです。
米国などの無用に高価な押し売りなどどうでもよく、きちんと筋の立つ仕事を積み重ねていけば、いま日本の若い人たちのいる地点から、歴史に貢献する本質的な仕事が生み出していけるのだ、という手ごたえと足場の自覚を持ってほしい、というのに尽きます。
および「今年のノーベル物理学賞は米、カナダの科学者に」といった見出しを出稿して何も考えない報道各社デスクは、頼むからその任から離れ、まともな分別のある人間に仕事をさせていただきたい。
韓国などは、自国の科学者が大きな貢献をしているのに、ノーベル賞から外れた!となると社会運動が巻き起こりますが、今現在の日本国内の無風状態は何たることか?
長年の読者はよくご存じの通り、私は右翼でもなく、リベラル側と見られることが多いですが、今回の噴飯モノと言うしかないノーベル物理学賞に、日本の国内メディアから社会的な声が一切上がらなかったのは、呆れるしかありません でした。
ノーベル財団は「不見識」です 。
しかし、日本社会とマスメディア全般は「無見識」つまり人類の科学的価値を見通す見識が「ゼロ」であると知れ、現在進行形で大変残念に思っています 。
ということで、本稿は英語版の出稿を編集部と相談し、広く国際社会に意見を問いたいと考えました。