日中「和解」とは一台湾の問題ではなく、戦後日本が始めて参加した大国のパワーゲームそのものだった

青木直人
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日中正常化を単に田中内閣が台湾を切捨てたとだけ、見る向きがあります。なかでもこうした視点は「正論」文化人に顕著なのですが、当時の政治状況を詳細に検討してみれば、こうした見方がいかに一面的であるのかがよくわかります。
日中正常化は日本の側から言えば「日本は中国と関係を樹立することで、米国とソ連に対して外交カードを手にすることが出来た」(中国人民解放軍機関紙「解放軍報」)のであり、中国は中国で、日本を抱き込むことで、米国とソ連に対して、日本カードを切ることに成功したのです。なかでもソ連が日本を念頭において、画策していた「全アジア集団安保構想」に対する痛打となったことは間違いない。

つまり日中「和解」とは一台湾の問題ではなく、戦後日本が始めて参加した大国のパワーゲームそのものだったのです

1969年、米国外交論文誌「フォーリン・アフェアーズ」にニクソンは論文を掲載し、世界に存在する5大パワーとして、米国、ソ連、欧州、日本、中国を挙げて、これら大国間の関係調整を通じて、ベトナム以後の新たな国際新秩序の実現を求めることを提唱しました。

それから3年、北京で、田中と会見した毛沢東は「田中先生、日本には4つの敵があります。それは米国であり、ソ連であり、ヨーロッパであり、最後が中国です」と語りかけたのです。ニクソンも毛沢東も世界の運命を決める5大国間の組み合わせを念頭において、今後の国際問題を考えていたのです。

それは毛の若き日の論文から引用して言えば「誰が我々の味方なのか、誰が我々の敵なのか」という問いかけでもあったのです。

角栄死して、17年。米中「同盟」を背景にして新しいパワーゲームが始まりました。
日本はこの歴史の舞台で有力なパワーになることができるのかどうか。
民主党党首選挙が近づいてきました。私たちは間違いなく歴史の節目に立っているのです。

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