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イタリアから感染拡大した背景 個人間の身体接触の濃厚さを指摘
さすがの解説 ついでにお勉強を
民族性をスルーした?合理主義者の 見事なお話です
体液を通じて感染する弱い病原体
梅毒菌は、自然界では、ヒトを唯一の宿主として存在しており、人間の体外に排出されると、非常に弱い細菌なので、短時間にすべてが死滅してしまう。
伊東 乾
イタリアから感染拡大した背景 個人間の身体接触の濃厚さを指摘 (2020年3月19日掲載) - ライブドアニュース
3月14日、イタリアでの新型コロナウイルス感染者が2万人を超えたとの報道がありました。犠牲者はすでに1500人に肉薄しており、全土で不要不急の外出を控えるように、との政府指示が出され、すべての商店の営業を禁止するという、異例の措置が講じられています。イタリアに次ぐ深刻な感染が報じられるのはスペインです。
14日までに5753人が感染しており、1万人を超すのはまず間違いないと見られており「非常事態宣言」が出されました。
実は私は3月16日から欧州出張の予定を組んでいました。別の理由で出立は少し遅れることになりましたが、何にしろ3月後半は在欧ですので、欧州コロナウイルス模様は現地からお伝えできると思います。
パリとアムステルダムにコラボレーターが集中しているので、エールフランスかオランダ航空で欧州に飛ぶのを常としていますが、今回はパリではなくアムステルダム経由とする予定です。
というのも、フランスはイタリア、スペインに次ぐ、第3のコロナ感染地域と考えられているから、あえて危うきに近寄らずという判断で、そのようにしました。
でも、これ、少し日本と事情が違っているように思われないでしょうか?
「寒い北海道で感染」の日本
すでに全国化しつつあるコロナ感染ですが、日本では当初、北海道で重篤な患者が相次ぎました。
様々な理由があると思われますが、一つは「寒いこと」また「寒いので、暖房を利かせた比較的密閉された空間に、ウイルスキャリアとともに長時間滞在することから、感染する可能性」といった点が指摘されました。
「エアロゾル感染」「空気感染するのでは?」といった議論も出ています。
私自身そういう可能性を完全に否定する科学的根拠を確認しているわけではありません。
しかし、そのようなウイルス存在密度の低い感染経路以上に、「古典的」な感染経路の方が、はるかに「強力」であることは間違いありません。
地中海沿岸のイタリアやスペインは温暖な気候です。本稿執筆時点での、東京の最高気温は13度ですが、ローマは最高気温18度、マドリードも18度、はるかに暖かい。
ただ、大陸なので気温の高低差は著しく、ローマの最低気温は7度、マドリードの最低気温は6度で、日本とあまり変わりがありません。
日中は暖かく、夕方から急速に冷え込むという気候は、それだけでも高齢者には決して優しいものではありません。
私が最初に欧州に留学した1983年、ドイツでは異常気象が観測され、夏8月の後半だったと思いますが、ある日の最高気温が34度で、うだるような暑さでした。
ところが、翌日、9度までしか上がらなかった。
この気温の差だけでも、高齢者には相当なダメージがあり、かなりの数の犠牲者が報道されていたことに、当時18歳の私は強く印象を持ちました。
しかし、現在イタリアでウイルスが猛威を振るっている北部の「ロンバルディア州」、州都ミラノはイタリア第2の都市というより、欧州全体を様々な分野で牽引する大都会です。
ミラノの3月の平均気温は、平均最高気温13度、平均最低気温6度。
これに対して、
東京の3月の平均気温は、平均最高気温14度、平均最低気温4度。
と、むしろ島国の日本の方が、若干ですが高低差の厳しい温度環境にあることが分かります。
温度帯域は大して変わらない。であるとするなら、気温そのものであるとか、その変化の厳しさで、イタリアでのウイルスの蔓延を日本のそれと比較することは、困難があるように思われます。
ではなぜ、イタリアのウイルス感染は、日本よりも激甚なのか?
体液を通じて感染する弱い病原体たち
先週、コンドームとマスクを比較して「感染予防」を考えるコラムを記しましたが、ここで「性病」というものを、少し考えてみたいと思うのです。
1492年に新大陸で船乗り(?)が感染したらしい「梅毒」が、すでに1494~95年には、ナポリで大流行・・・という史実を記しました。
船乗りという職業と、当時の衛生概念などから、売春宿などを通じて性病が蔓延した可能性は、もちろん考えられます。
しかし「性病、性病」と特化しすぎるのは、少し考えた方がよいように思うのです。
「主として」性行為「など」で感染するのか?
梅毒については、病原体は「梅毒トレポネーマ」と呼ばれる「細菌」が悪さを働きます。私が子供の頃は「スピロヘータ」と習いましたが、昨今は表現が変わっているようです。
梅毒の病原体は直径0.1ミクロン、長さ10~20ミクロンほどの、らせん状をした細菌で、らせんの巻き数は6から14ほどとばらつきがあり、青い光を放つ性質があるとのことです。
重要なことは、酸素の濃度が濃い環境に置かれると、さっさと死んでしまうという特徴です。低酸素状態でないと、生き続けることができない。
半嫌気性の微生物、地球史的には古いルーツを持つようで不思議な特徴として、ウサギの睾丸の中で、培養することができるそうです。
私には、梅毒病原菌をウサギの睾丸の中で培養できることも不思議ですが、ウサギの金玉の中で梅毒菌が培養できる、という知見を人類が得たことの方が、もっと不思議に思われ、いったい誰がどうやって見つけたのかも、謎です。
梅毒菌は、自然界では、ヒトを唯一の宿主として存在しており、人間の体外に排出されると、非常に弱い細菌なので、短時間にすべてが死滅してしまう。
つまり、ヒトとヒトが、外部を経由せずに接触するような感染経路で「のみ」もっぱら広がって行く。
微弱な病原体による疾患が「性病」と呼ばれるものの実態で、AIDSウイルスなども同様に、それ自身は非常に弱いものでしかない。 だから空気感染などは起こさないのです。
人間の体内と対外が弱く接している部分は「粘膜」になっている。そして粘膜と粘膜が直接接するケースの一つが「性行為」だということから、「性病」と名づけられることとなった。
ただ、性行為のみならず、別の形でもヒトとヒト、粘膜と粘膜が空気を媒介とせずに接する局面では、こうした病原体は個体から個体へと渡り歩くことができる。
一番典型的なのは、母子感染でしょう。お母さんがキャリアの場合、母胎内で赤ちゃんに感染して、先天性疾患となってしまうケースがある。
決して「性病」として特化すべきではない、「濃厚接触」を通じて感染半径が広がって行く性質のものである、と客観的に考えるべきだと思います。
その観点から考えるとき、イタリア、スペイン、フランスなど、ラテン系諸国で顕著なのは、日常的な個人間の「接触」の濃密さでしょう。
地中海沿岸などを旅行された経験のある方なら、日本ではあり得ないような濃厚なディープキスなど、人目も憚らずに交し合っているカップルなどを目にしたことが少なからずあるのではないかと思います。
ラテン諸国で、恋人同士は、ほとんど口の中を舐め合うがごとき「粘膜と粘膜」の接触を日常的に行っています。
これは夫婦になっても変わらず、カップルは、第三者のいる社交のような場でも、それなりに「べちょ~」っと粘膜接触を人目も憚らずに行っている。
細菌でもウイルスでも、何でも往来自在という状態でしょう。
これが、家族や親子になると、舌と舌というのは、そんなに見ないように思います。しかし、唇と唇のキスは普通に目にします。
これまた、粘膜と粘膜の接触で、体液を媒介として感染が広がりうるケースです。
家族や恋人同士でなく、普通の友人や知り合いではどうか?
「ハグ」で抱き合ったり、ホホにキスしたりするのは、ごくごく普通の「接触」と思います。
あるキャリアのひとが「ハクション」とくしゃみをして、その飛沫が頬に付着していたとして、ホッペにチューと、粘膜である唇を寄せれば、これまたウイルスや細菌にはラッキーな状態となる・・・。
欧州は北に行けば行くほど、挨拶における身体間の接触は希薄になっていきます。
ナポリなど南イタリアは「べちょ~」っとした愛情表現。それがミラノあたりのロンバルディアでは、はるかに上品になり、「チュッ」くらいに軽減します。
アルプスを越えてスイスや南ドイツになると、キスはほっぺが中心となり、人前でべちょべちょやるのはずいぶん減ります。
来週私はミュンヘンの予定ですが、この町で目のやり場に困ることは比較的少ない。
さらに私が長く住み慣れたベルリンなど、北ドイツでは、握手とかハグなどは普通にありますが、あたり構わずべちょべちょやることは、まあ、まずない。
そこからさらに北西に200キロほど進んだオランダ、アムステルダムなどは、実に淡白なもので、私自身もそうですが、友人と再会すると互いに肩を抱き合い、ホホとホホを重ねるハグ程度まで希釈されます。
逆に言うと、欧州中部を北海、バルト海沿岸まで北上しても、この程度までは十分、濃密接触がある。
日本とは、エラい違いであるのは、一目瞭然です。
なぜ欧州で、イタリアからコロナウイルスが蔓延したのか?
その一つの答えの可能性として、イタリアにおける個人間の身体接触の濃厚さを指摘することは可能であると思います。
言ってみれば「性病的」な蔓延、空気感染などはできない、微弱なウイルスを個体から個体へと容易に運ぶ「粘膜接触」の頻度が、日本とは比べものにならないほど高いことを、指摘しておく必要があるでしょう。
我が国でのコロナウイルスの蔓延や、学校の休校といった事態と、欧州での商店休業指示などを、闇雲にまた一律に比較するのは意味がない以上に危険な誤解が少なくないように思います。
社会慣習、文化的な違いや、とりわけ身体間の接触頻度、その程度など、より実態に即した比較を念頭に、慎重に事態を観察し続ける必要があるわけです。
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