千年の間、草書体が文字の基本であった

平井修一
歴史・文化の継承は文字から

寺子屋・・・文字は草書体を教えた・・・
万葉仮名が発明されて紫式部、清少納言が活躍して以来の千年の間、草書体が文字の基本であった。明治以降は活字を普及するための便法として楷書体・明朝体に統一しようということになり、大正時代には草書体は駆逐されてしまった。

手書き文字としての楷書体、活字としての明朝体が天下の公式文字になったために、古文と草書体で作品を書いたのは樋口一葉が最後となり、大正以降は草書体を書けないどころか読めない人ばかりになった。

千年の間、草書体が文字の基本であった
やはり 昔の人といえども 面倒なものは いやだったんです
前後関係から わかりきったことは じゃんじゃん 略してすます
それで とおっていたわけ

それが 久しく 草書を やらないので 
漢字は 面倒だから できるだけ 使わないよう 
いっそ 廃止してと いう 風潮に

でも パソコンの普及で 分かれば OKの時代に
これで 漢字が 生き延びた

日本は 戦後 字体改革を いろいろ いわれながらも まあまあ ほどほどにしたおかげで 昔の字も読めるけど
ご本家 シナでは あまり 学のない連中が ともかく 簡単であればよいと 徹底して やったために 昔の字との関連がわからなくなってしまい 今のシナ人は ご先祖さまの 文章が 読めなくなっている

中国漢字、簡略化の弊害

また コリアでは 漢字を 廃止したために 思考能力が低下したと いわれる次第
韓国人はハングルで馬鹿になった
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