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ご存じですか?】「皇居ラン」を流行らせたのは、銀座のホステスたちだった
そうだったんだ
【ご存じですか?】「皇居ラン」を流行らせたのは、銀座のホステスたちだった(週刊現代) @gendai_biz
40人のホステスが疾走した深夜のマラソン大会
平日には一日7000人以上のランナーが、皇居外周を走るという。土日になると、その数は1万人に膨れ上がる。
起伏に富んだ一周5kmのコースは、信号もなく走りやすい。桜田門、パレスサイドビル、東京国立近代美術館、千鳥ヶ淵公園、英国大使館、国立劇場、最高裁判所など「東京名所」を走りながら楽しめることも、ランナーたちの人気を集めている。
そんな「皇居ラン」ブームの火付け役になったのが、「銀座のホステス」ということはご存じだろうか。
1964年11月1日未明、「皇居1周マラソン」が開催された。主催者は「銀座のクラブやバーの経営者」で、「ホステス」が選手として出場した。「未明」というスタート時刻がいかにも「夜の街」らしい。
当時の新聞や週刊誌によると、その年の東京オリンピックで円谷幸吉選手が銅メダルを獲得したことにあやかったイベントだったという。参加した約40人のホステスは、「ラモール・ポン」「シャトレ・アリサ」など店名と源氏名が記載されたゼッケンをつけて走った。優勝タイムは5kmを23分台となかなか速い。
これに触発されたのが、皇居そばの国立国会図書館に勤務する男性職員たちだ。
「女性にできて、自分たちにできないはずはない」と、昼休みに有志で走り始めたという。「国立国会図書館マラソンクラブ」の始まりだ。合い言葉は「決して他人と競争せず、マイペースで走ろう」だった。
このマラソンクラブの姿を見て、皇居周辺で働く官庁職員や一般企業の社員のなかでも走り始める人が出てきた。こうして'70年代に入ると「皇居ラン」は一大ブームとなっていく。
ちなみに、かつて女子マラソンで活躍した谷川真理が、OLになって4年目の24歳のときに皇居で走るランナーを見て、昼休みに皇居ランを始めたのが'80年代半ばのこと。「皇居ラン」ブームは世界で活躍するマラソンランナーまで育ててしまう。
「夜の蝶」の羽ばたきが大きなうねりとなって、市民マラソンブームを巻き起こしたのだった。
「週刊現代」2022年10月8日号より
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