詩と断片 あるいは 言葉の雫

美琴の新作の詩、言葉を載せています。

未来の作られ方

2010年02月19日 | 
時間は繋がっている
ようでいても 実は
繋がってはいない。
ただ
連続して 重なってはいる。

繋がっているのならば
常に未来は予想できるはず。
川に浮かべた笹舟の様に。
でも実際は?

現在が未来に影響を与える
ことは何度となく ある。
例えば積み木の様に。

良くも悪くも
過去の上に立って
今を重ねてゆく。

未来は積まれる前の積み木。
まだ何も決まってはいない状態の。

何を積むかで未来は変わる。
未来を決めるのは
未来でも過去でもなく
今のこの瞬間の行為。

その時々の行為で未来は変わる。
積み木を選ぶこともできる。
積み木を作ることもできる。
反対に
積み木を崩すこともできる。

物質上 あるいは 気持ちの上で。
それは気分転換として
あるいは再出発として。

積み木は重なっている。
でも
固定されてはいない。

主導権はいつも
その手に その行為に
その気持ちに その行動に
委ねられている。

まだ決まっていない
未来とともに。
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戦闘服

2010年02月19日 | 
正しさの名前で
身支度した
人々が歩く。
それぞれが
それぞれの価値観の
正しさの正装で。

あるいはそれは
ある時代の
正しさの流行服。

あるいはそれは
ある時代の
作られている正しさ。

ある時代が過ぎて
ある時代が始まって
あの時代の服は
捨てられて
あるいは
博物館に保管されて
正しさではなく
悲しさで展示されている

今の正しさで
昔の正しさを見る。

今の正しさは
きっと
未来の正しさに見られる。

正しさの正装で
着飾っていても
時代には逆らえないとみて
瞬く間に正しさは
次の正しさに決定した
正しさに着替えられていく。

時代が移って
正しさも移って
進化かも
退化かも
わからない変化の中で
新しい正しさの正装をする

今日も正装で歩く。
昔のあの時代の
脱ぎ捨てられた正装の上を。
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夢の居場所

2010年02月19日 | 
夢の切れ端が
夜の片隅から
少しずつ落ちて
月明かりにあたって
太陽の光の一部となって
昼間の人間に希望を与える

夢とは儚いものである
と 同時に
誰かを強くする力を秘めている

夢から覚めて夢を見る
誰でも夢を持つための
許可はもらっている
その夢を持ち続けるのは
本人の努力しだい

夢は重くはない
空中を 頭の中を
飛び回っている
それは蝶にも似ていて
捕まえるのは難しいかもしれない

捕まえるには
少しの考える時間と
捕まえるための準備と
捕まえるまで続ける
気持ちが必要になる

それも元々
誰もが持っていたもので
悪夢を怖れる気持ちが
その気持ちを少しずつ
消し去っていって
いつの間にか人間は
夢は儚いだけで
力を秘めている事を忘れた

そして夢は夢として
現実と区別されて
夜の片隅に捨てられた
でもまだ
力の証を示すように光っている

ただ人はそれを
新しく星と呼ぶようになった

自分達の捨てた夢だとは
誰も気づいていない

今夜もまた星は
夢の存在を思い出させるために
夜の片隅で光っている
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確実の後ろ

2010年02月19日 | 
確実な事は
あるか。 ないか。
それすらも知らない。
何を知っていて
何を知らないのかも。
そして何を
これから知るのかも。

ただ想像が
あるばかりで。

何が確実で
何は確実ではない。
99%では足りない。
100%でなければ
ならない。確実とは。

死は万人に訪れる。
はたして これは確実か。
そしてこれは
永遠に確実か。
確実であるのならば
永遠に確実でなければ
ならない。永遠に。

永遠とは何か。
我々が知らない
はるか未来の事。

永遠を知るには
永遠に生きなければ
ならない。確かめるために。

確かめるには今の
技術では足りない。
そしていつ
足りるようになるのかも
知らない。確実には遠い。

想像は膨らむばかり
確実性は萎むばかり

知りたい
知りたい
何を

確実は
まだまだ先で
走ってる

我々の見えない
永遠の最先端

さらに先の方

想像は膨らむばかり
可能性も膨らむばかり

知りたい
知りたい
何を

光は確実の後ろを走っている

想像は膨らむばかり
不確実も膨らむばかり

光は不確実よりも
可能性を見つめている

想像は膨らむばかり
可能性も膨らむばかり
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時間の切れ端

2010年02月19日 | 
ある日のある日が
ある日偶然目の前に来て
一足先に夜を飛び越し
昨日と呼ばれる日になってみて
君の常識とやらに挑戦状を突きつける

月のない満月の夜
星がささやくのは
朝日の悩みとくだらない決断とやら
眩しい漆黒が
朝の太陽を慰めて
今日と呼ばれるある日となった

溢れ出すのは枯れた噴水の水と
熱のない太陽光

幻想とやらは 真実に騙されているらしい

「知らない」と「知っている」の区別は
個人の思い込みの強さの違い
多分今日は去年に抜かされている

取り繕うクジャクが
カラスと取り引きをして
スズメが仲介に入って
少し離れた所から地面が見下ろしている。
空と大気圏の向こう側から

取り留めのない幻想とやらが
現実と駆け引きなしで勝負する。
比べるのは思い込みの強さで
そこに人間を巻き込んだところで
途中で夢が邪魔をする

夢は起きている時にも
眠っている時にも見られるもの。
言葉は中立で限定はしない。
どっちの意味にも取れるように
片目をつぶって生活をしている

そして人はそれを
自分の思い込みで判断する。
嘘か 真実か

嘘か 真実か
何か 何か
一つでは比べられない
存在とはそんなもの

君か 私か
君と私

私か 私か
私と私

今日も鏡は中立を守っている
筒抜けの伝達技で。

或いは反射させることで
自分の秘密を守っているのかもしれない

取り留めのない嘘と真実が氾濫して
今日も川を使って海へ行く。

嘘と真実が蒸発して、降って
嘘と真実と流れた時間と
ある場所の記憶と
ある日とあの日が
交じり合って 溶け合って
今日というある日を生きている。

偶然のような 奇跡のような
ありふれている様で
二度とないある日と言う今日を生きている。
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