n.kPのミリマス記録

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【ネタバレ注意】君の名は。-「誰そ彼」の物語ー

2016-08-29 01:08:13 | 君の名は。
というわけで、ミリオンライブ!のブログですが今回はミリマスではなく今日見てきた映画「君の名は。」の感想記事を書かせてもらいます。
(他に書けるとこなかったので…)

一言でいうならば素晴らしい映画でした。
私の好きな要素がたくさん入っていて、見せ方も素晴らしい。


とりあえず1回見た後の忘備録というか気になったところまとめみたいな感じですかね。
ネタバレ思いっきりあるのでまだ見てない・原作読んでない方は注意してください。




































物語の最初は、主人公の2人、立花瀧と宮水三葉が人格入れ替わりを起こすところから始まります。
はっきり言って、前半部分は本当にある種王道の「人格入れ替わりもの」なんだろうなと思います。


私はもともとSFがかった学園ものの物語が好きで、「ココロコネクト」を最終巻まで発売後すぐ読み切った人間なのでその辺のことも思い出しながら観てました。
この映画知って引き込まれた理由も、最初はその辺ですし。



田舎に住み、古いしきたりの中で暮らす女の子と、都会の中心部で暮らす男の子。
分かりやすく対極の位置にいる2人だから、なおいっそう人格入れ替わりのドタバタがおもしろい。
最初は慣れない環境の中手探り状態の日々ですが、慣れてくると徐々に生活になじんでくる。
お互いの日記のやり取りが結構おもろい。

それにしても…瀧くんって素のままの状態でもどこか女の子っぽいところがある気がしたのは気のせいか。
最初のシーンで頬にガーゼがあって何か県下でもしたのかなっていう描写があったのですが、結局何があったのかすらわからなかったですし、何か「男の子っぽさ」を表すために付けた記号にしか見えなかった。

※追記:でも今思い返してみると、瀧くん入れ替わった先でも荒っぽい立ち回りするし(美術の授業のシーン)、案外そうでもないのかも



その後、瀧は三葉のもとへ会いに行こうとしますが、最終的に立ち寄ったラーメン屋で衝撃の事実を聞かされる。
あれ、見ていた私もえーっ!ってなりました(映画見るまで原作未読でした)
それが現実だとしたら、瀧が、そして画面を通じて私たちが見ていた三葉や糸守町の風景は何だったのか。とてつもない無力感に襲われます。
そして、ただ人格入れ替わってるだけじゃなく、過去と未来までも行き来していたとは…



でもよく考えると、三葉の糸守町では彗星がいついつ最接近って話めっちゃしてるのに、瀧のいる東京では全くそんな話題出てきてないんですよね。
瀧のお父さんが見ていたニュースも確か全く違うニュースだった。
むしろ映画の冒頭に出てきてたから、瀧のいる世界にとっては彗星が降ってきたのは過去の出来事…言われてみれば完璧に辻褄合う描写なんですが、初見ではラーメン屋のおっちゃんに言われるまで全く気付かなかったです。うまく描かれているなぁと。


こうして、ただの人格入れ替わりと思われていた物語は、過去と未来の物語になるのでした。



後半の物語は、三葉の過去と瀧の今が目まぐるしく交差していて、かなり難解…
とりあえず映画見終わった後、素晴らしいなぁという感想が口をついて出はしたんですけどね。
ともかく最後の2人が再会するシーンがあってよかった。
瀧が、三葉があんなに動いた結果結局何も助かりませんでしたではあまりにも救われない。


まだ頭の中でまとめきれてないのでほんとに断片的に書いていきます。


この部分で重要となるのは、瀧が右手に付けていた組紐。
最初この物語を見たとき、「三葉は東京の男の子になりたいと願ったからともかくとして瀧はなんで入れ替わったんだろう」と思いましたが、この組糸が偶然を必然たらしめていたわけですね。
そしてその組糸は3年前に三葉が瀧に会いに来た時のもので…この辺結局話がループしてるんですよね。
過去と未来を行き来する話ではわりかしよくあることなんですが、個人的にはあまり好きなネタではなくて…じゃあ一番最初は何がきっかけでこの物語は始まったの?って考えるとドツボにはまる。
考えすぎですかね。



この物語、記事のタイトルにも書いた「誰ぞ彼」というのがテーマなのかなと。
2人が(瀧が三つ葉のことを知った状態で)出逢うのもこの時間帯でしたし、瀧が最初に糸守町の真実を知ってしまったのもその時だった。
誰ぞ彼っていうのは意味としてはそれこそ「君の名は?」ってことになる。
この2つが同じ言葉だというのが古典の授業のシーンでありました。

だからこそ、終盤のシーンで2人は瀧の、三つ葉の名前を忘れまいと必死になる。忘れてしまうと思い出せなくなる、そして会えなくなってしまいそうな気がしたから。




宮水神社の御神体の山で2人が再会…というか初めて瀧は三葉と、三葉は瀧と会うシーン。
これも黄昏=「誰そ彼」時なんですね。陽が完全に沈んでしまう前のほんの一瞬だけ、現世とあの世の区別がぼんやりしてしまう。
そしてご神体という現世とあの世の境目になる場所だから会うことができたのかな、と。


そして、2人はお互いの存在を認識し、ひとしきり話をし、お互いの存在を忘れないようにお互いの名前を手に書
































ってところで画面がブラックアウトしてしまった(=黄昏時が終わって会えなくなってしまった)

この演出もぞくっときましたね…あと少しで、もしかしたらすんなりハッピーエンドで終わるかと思ったけど、まだそうはいかない。


というか「みつは」は書けてなくて瀧が三葉の名前を思い出せなくなっていったのは仕方ないとして、「瀧」か「たき」あたり書いてないといけないところに「好きだ」って書くあたり瀧ってよっぽど思いが先行するタイプなのか抜けてるのか何なのか…
(追記:もしかしたらお互いの名前を記憶に残さないように見えざる何かの力が働いた?結果的に大人になっても名前はおろか、入れ替わりのことすら忘れていますし)


本人は「時間があったら好きだって気持ちを伝えるつもりだった」って言ってた(※追記:たぶんここのセリフ全然違うことを言ってる。もう一度見直さないと…)ので、完全に無意識下でやったんだろうなとは思いますが


それでも、「あの子」の名前が分からなくなっても避難計画を進めていく三葉は立派…というか夕方までと違って入れ替わり解けてるのになんで何事もなく進めてるんだろう。
言い出したから引くに引けなかったというのもあるんでしょうが、瀧の記憶が抜けた以上、お祭りの日の夜に糸守町に隕石が降ってくるということ自体忘れてしまうんじゃないかと思ったのですが…
名前は忘れてしまったけどそれ以外のことは何とか記憶に残ったということ?
うーんこの辺たぶん何か見落としてるな…また見に行けたらこの辺しっかり見たい。

(追記:よく見たら再会のシーンで瀧が三葉にやるべきことを伝えていますし、三葉自身も一度死んだときの記憶を取り戻しているので隕石が降ってくる前提で動けているんですね。)



最後の防災無線鳴らして~町長である父に避難命令を出すところはある意味一番のヤマ場だったんでしょうが、そこは前日に読んでたスピンオフ(君の名は。Another Side:Earthbound)にそこそこ載ってたのである種答え合わせをしてる感じでした。あーそういう流れでこうなったのかと。




そういえば、瀧が口噛み酒を飲んで隕石が降る日の三葉と入れ替わった時、制服の色が本来のベージュ系統ではなく黒系統になっていました。
これは、「今のままの未来だと三葉は死んでしまう=現在のところあの世にいる人間」という表現なのかなと。




それにしても糸守町って何なんでしょうね。
いや、町は町なんですが、この映画全体に何か伝えたいメッセージがあるとして、そうしたら糸守町という町の存在そのものも何か意味を持っているんじゃないかと。
名前についても、「糸(=人や時間のつながりを保つもの)を守る」「糸(=町を守る何かの例え)によって町を(2回目の)隕石被害から守る」…何かしらの意味が持たされているのではないかと考えてしまいます。

この町に(というか宮水家に?)組糸が代々伝わっているのも興味深い。
「糸をつなげることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ。寄り集まって形を作り、捻じれて絡まって時には戻り、途切れてはまたつながる。」
一葉おばあちゃんの言葉。深いですね。


最終的に隕石の落下は避けられず糸守の町がなくなる運命は回避できなかったのですが、糸守の町に言わば「縛り付けられていた」三葉や勅使河原が東京の町で暮らす5年後(彼らにとっては8年後)が最後に見れたときはたまらなく嬉しい気持ちになりました。



とりあえず一回映画見て思ったことをあらすじ書きながら書き流していきましたが、これほどまでに素晴らしい作品にはなかなか出会えないだろうなぁと思う程度には素晴らしい作品でした。
また見に行きたいですね…原作もいずれ読まねば。




※君の名は。感想記事

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