「天気の子」を以前見に行ってからまた見に行って思ったこととかをまとめていきます。
前回記事と被る部分もあるかもしれませんが、その補完でもあると思って下さい。
考察というよりかは見て感じたこと思ったことなので感想です。
ほんとは書きたいこと何テーマかあったのですが、思い出せないのとテーマ絞ったほうがいい気がしたので1つに絞っています。
(なのでこの記事の続きをまた書くことになるかもしれません)
今回もネタバレ多めになっているかもしれません。ご注意ください。
・「祈る」ということ
作中でヒロインの陽菜は、晴れの天気を「祈る」という行為を繰り返し行います。
物語を代表するシーンの1つともいえる「祈り」。
この記事ではこの「祈る」という行為に焦点を当ててみることにします。
この物語の中では、東京の街に生活する人たちの描写が多く登場します。
彼らは日々自分にとってのいつも通りを過ごしていますが、雨が降り続くという異常気象に遭遇することとなります。
そんな大変な状況の中でもなんとか普段通りの生活を行おうとする人々、そして帆高たちがこの物語では描かれています。
そのような状況の中で人々が求めたのは、晴れという天気でした。
結婚式・フリーマーケット・イベント・競馬…その理由は本当に様々で、彼らにとってはそれは切実な願いでした。
またそれ以外のほとんどの人も、特に何かがあるわけでもなくとも、ただ過ごしやすい、気分が明るくなるという理由で晴れを願っていたと思います。
しかし、通常人々は天気を変えるという願いをかなえることはできません。
人智を超えた何かにその実現を願う、すなわち祈るということをするしかないわけです。
そこに天気を晴れにできる力を持つ少女(陽菜)が現れ、陽菜が祈ることで彼らの願いは実現されていきます。
陽菜の祈りは、この物語の冒頭で母親と晴れた日を過ごしたいと願った時を含めて、常に誰かのための祈りでした。
また、帆高も物語の終盤で陽菜に戻ってきてほしいと願い、それを祈ります。
これも本来ならば到底実現できないことですが、結果として天気が(地上の世界に住む人間たちにとっては)狂ったままになることと引き換えに、陽菜は戻ってきます。
これも、誰かのための祈り。
両者に共通するのは廃ビルの屋上にある神社。
個人的には鳥居もあって茄子ときゅうりのお供え物もあって…お盆の時期ということと、日本的な宗教観のようなものをわかりやすく象徴するようなデザインだったなと感じました。
あの場所がこの物語での人の心が天と繋がる場所なのでしょう。
人は自分の力では叶えられない願いを持ったとき、それを人智を超えたものに託すために祈る。
そして誰かの思いを託された祈りは、その思いを受けているからこそ美しい。
そんなことをこの物語を見ながら思いました。
----
今日一番くじを見かけて買ってきました。
まだまだこの物語を楽しみたいのでまた見に行こうと思っています。
前回記事と被る部分もあるかもしれませんが、その補完でもあると思って下さい。
考察というよりかは見て感じたこと思ったことなので感想です。
ほんとは書きたいこと何テーマかあったのですが、思い出せないのとテーマ絞ったほうがいい気がしたので1つに絞っています。
(なのでこの記事の続きをまた書くことになるかもしれません)
今回もネタバレ多めになっているかもしれません。ご注意ください。
・「祈る」ということ
作中でヒロインの陽菜は、晴れの天気を「祈る」という行為を繰り返し行います。
物語を代表するシーンの1つともいえる「祈り」。
この記事ではこの「祈る」という行為に焦点を当ててみることにします。
この物語の中では、東京の街に生活する人たちの描写が多く登場します。
彼らは日々自分にとってのいつも通りを過ごしていますが、雨が降り続くという異常気象に遭遇することとなります。
そんな大変な状況の中でもなんとか普段通りの生活を行おうとする人々、そして帆高たちがこの物語では描かれています。
そのような状況の中で人々が求めたのは、晴れという天気でした。
結婚式・フリーマーケット・イベント・競馬…その理由は本当に様々で、彼らにとってはそれは切実な願いでした。
またそれ以外のほとんどの人も、特に何かがあるわけでもなくとも、ただ過ごしやすい、気分が明るくなるという理由で晴れを願っていたと思います。
しかし、通常人々は天気を変えるという願いをかなえることはできません。
人智を超えた何かにその実現を願う、すなわち祈るということをするしかないわけです。
そこに天気を晴れにできる力を持つ少女(陽菜)が現れ、陽菜が祈ることで彼らの願いは実現されていきます。
陽菜の祈りは、この物語の冒頭で母親と晴れた日を過ごしたいと願った時を含めて、常に誰かのための祈りでした。
また、帆高も物語の終盤で陽菜に戻ってきてほしいと願い、それを祈ります。
これも本来ならば到底実現できないことですが、結果として天気が(地上の世界に住む人間たちにとっては)狂ったままになることと引き換えに、陽菜は戻ってきます。
これも、誰かのための祈り。
両者に共通するのは廃ビルの屋上にある神社。
個人的には鳥居もあって茄子ときゅうりのお供え物もあって…お盆の時期ということと、日本的な宗教観のようなものをわかりやすく象徴するようなデザインだったなと感じました。
あの場所がこの物語での人の心が天と繋がる場所なのでしょう。
人は自分の力では叶えられない願いを持ったとき、それを人智を超えたものに託すために祈る。
そして誰かの思いを託された祈りは、その思いを受けているからこそ美しい。
そんなことをこの物語を見ながら思いました。
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今日一番くじを見かけて買ってきました。
まだまだこの物語を楽しみたいのでまた見に行こうと思っています。