歩けますが、ちょっと距離があるので、ウォーキングするぞ!と思わないと行けない距離なので、梅雨どきの今は車で出かけました。
駐車場側です。
うちにあるのと同じシーサー。
娘の牧山桂子さんが住まわれているのかな。
間違えてお宅の方に行っていましました。すみませんでした💦
竹林を抜けていきますと、
門が見えてきます。
第二次世界大戦後に、マッカーサー元帥と対等に渡り合い、日本国憲法成立に携わる中で、従順ならざる唯一の日本人とGHQに言わしめた白洲次郎と、樺山伯爵家の次女として生まれ、骨董を愛し、着物を愛し、数々の書物を残した当代随一の目利きとうたわれた白州正子が、半生を暮らした茅葺き屋根の家です。
入口を入ると、すぐにレストランとカフェがあります。
かつて鶴川村と呼ばれていたこの地域が相模と武蔵の境目にあったことと家主の無愛想をかけて、武相荘。うまいネーミングを思いつくもんですね。
こちらは2回目の来訪。
一度目は何年も前、母が来た時、一緒に行きました。
入場料が要るので、いくら近くて素敵な場所でも、なかなか訪れることはないところ。久しぶりに入りました。
昭和18年に、こちらの農家に水道橋から移り住んでこられたそうです。疎開の意味合いに加え、欧米事情に通じていた次郎が敗戦と食糧難を予想して、農業に専念できる環境を選んだことが大きな理由だそうです。
ちょうどお昼頃で、もう何人かレストランの前で待っていたので、私たちも先にお昼ご飯にすることにしました。
エビカレーにしました。
次郎、こだわりのカレーみたいですよ。
正子の兄がシンガポールに行っていたときに食べたカレーで、そのレシピを持ち帰り、次郎が気に入って、またレシピを聞いてそれ以来、カレーはこれだったそうです。
配膳されるとき、「次郎は生野菜が食べられなかったけれど、カレーをかけてなら食べられたそうです」ということで、カレーをかけて食べました。
しかも、長年の海外暮らしで、スプーンはスープを飲むためのものというこだわりがあったそうで、カレーもフォークで食べたそうです。私も挑戦してみましたら、意外と食べられましたよ。
平日でも、遊びに来られている方は割といたので、食べたらすぐ茅葺きのおうちを見学しました。
レストランになっているところの隣のテラスです。天気が良ければここでも食べられます。
こちらが、玄関です。
このチマキみたいなのは京都の八坂さんのでしょうかね。
中は写真は不可です。
懐かしいというか、この間、飛騨に行ってきたばかりなので、古川の家もこういうのがあったなぁと思い出しました。
こういうものが大好きなのですが、やっぱり冬は寒くていられないだろうか。
お庭を散策。
外から中を眺める。
後から知ったのだけど、三重塔には次郎の遺髪が埋められているとか。
正子コレクションの仏像。
この門は、適当な門を探していた白洲夫妻がある骨董商に紹介された芝高輪の泉岳寺近くの邸宅の門を移築したそうです。
新聞受けは次郎自作のものです。
白州正子は十一面観音にも造詣が深く、『十一面観音巡礼』という本も出されているので、私も巡ってみたいと思っていたところでした。
とりあえず、今月の『和楽』は買ってあって、近江に行きたいと思っています。