連れていってくれたお料理屋さんは、割烹朝日館さんでした。
おばが「ここ行きたかったのよー」ととても喜んでいました。
おばは何十年も前に、ここで同窓会をしたそうで、その後、平成17年に火事で全て燃えてしまい、その後、再建されたのです。
今は一組ずつのお客様の対応にしているみたいです。
いろりのある待合室で、しばしお茶をいただきました。
お部屋は和室にテーブル席になっていました。お年寄りには嬉しいですね。
お料理はとても繊細で美しかったです。
これはお寿司を蒸したものでした。
開けたものを撮るのをすっかり忘れていました。
蓮根もち。
この前、無性に食べたくて、たくさん蓮根を買っていたのに、面倒で作らなかったばかりなので、食べられてよかったわ。
人に作ってもらうのが一番笑
梨のムースだったかな。
その前に雑炊があったのですが、撮り忘れ。
この雑炊がほんとに美味しくて、何度もおかわりしていました。
ちょうどここに陽が差して、それが移動していく様子を見ているのも眼福です。
写真では表現できていませんが😅
この後、Hさんが飛騨の匠の技が昔、テレビで紹介されたという放送を見てほしいというので、40分間、見ました。
お店の方に無理を言ってビデオを見れるように用意してもらったそうですよ😅
それは秋田県大仙市にある国重要文化財の古四王神社についてでした。
仙北平野を南北に走る奥羽本線の大曲駅と飯詰駅のほぼ中間地点、広い田園に囲まれ天を仰ぐ老樹の中に小さな社がある。
これが飛騨古川村出身の飛騨の匠「甚兵衛」作といわれる大曲市の古四王神社である……
というナレーションから、始まりました。
古四王神社
この古四王神社の作者は昔から飛騨の匠と言い伝えられていましたが、昭和5年文部省の解体修理の時、「古川村」の大工、「甚兵衛」と書いたものが出てきたそうです。
明治38年に京都帝国大学教授の伊藤忠太郎工学博士は報告書の中で「手法法縦磊落端倪(しゅほうほうじゅうらいらくたんげい)すべからず、実に珍中の珍、奇中の奇なり」と感嘆し、明治41年には特別保護建造物指定を受け、昭和5年の調査の際、京都帝国大学天沼俊一博士がこの類稀なる手法を認め、全国古建築の異彩と称しました。
地元大曲では、昔からこの作者は飛騨の匠との言い伝えがありましたが、この時、東南隅の屋根の支えの中の斗にの一つに、「古川村大工甚兵衛」の墨書が入っていて、飛騨古川の大工甚兵衛の作と判明。その伝説がほぼ伝承の史実と一致するものとなりました。
大曲市が全国に誇る建造物で、昭和25年8月9日に国の重要文化財に指定されています。
この神社は元亀元年(1570)に建てられており、当時は室町末期、騒乱に明け暮れていた時代です。
なぜ、甚兵衛が古川から大曲までやってきて、この社を建築したのかはわかりませんが、古川町で調べると、甚兵衛さんは最初は古川から富山に行き、その後、東北に行ったということがわかったそうです。
なぜ行ったかの理由は分からないのですが、このように技術を買われて、色々な建築物を建てに散らばっていった匠も多かったのでしょう。
私の祖父も結婚した頃は東京に建築物を建てに行ったそうですから、この話のように買われてというわけではないでしょうが、その当時でも各地に行っていたようです。
こんなビデオを見ながら、こちらにも古川の大工さんが彫られたであろう木彫りの作品が飾られていたので、写真を撮らせていただきました。
やはり木の国ですね。
再建後、おかみさんと娘さんでしっかり暖簾を守られていました。
古川は八ツ三館や蕪水亭が宿とともに食事も有名ですが、朝日館さんはリーズナブルなのに丁寧に作られたとても上品なお料理をいただくことができました。
こんな素敵なお料理屋さんを予約してくださり、ありがとうございました。
ここでみんなで記念写真を撮り、次は「女工哀史」で知られる政井ミネさんのお墓がある角川へ行くのだそうです。角川は、中日ドラゴンズ期待の根尾くんの出身地ですよ。(名古屋人しか興味ない?)
全てHさんが旅行の工程は組んでくれております。
なんか頭の中でストーリーが組んであるらしい笑
続きます。