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南英世の 「くろねこ日記」

日本語の使い分け

役所が送ってくる文書を見ていていつも腹が立つ。なんでこんな回りくどいのか。基本的に行政が書く文は責任逃れの文章で構成される。いたるところに保険を掛けている。「~等」などという表現はその典型である。
 
司法で使われる言葉もまた独自の世界である。地球の果てまで続くのではないかと思われる長々とした文章でつづられる。専門的な訓練を受けた人でないと読めない。ほとんど業界用語である。簡潔なのは宣告の部分だけ。「被告人を死刑に処する」。
 
政治家の文章はいかに相手に尻尾をつかませないかを主たる目的としている。だから「言語明瞭・意味不明」の文が名文(迷文)とされる。有名になった「ご飯論法」もしかり。「ご飯を食べたか」という質問に対し「ご飯は食べていない(実はパンを食べたということは隠す)」といふうに、意図的に論点をずらし回答をはぐらかす。国民を馬鹿にしているとしかいいようがない。
 
文学にいたっては何をかいわんや。何度読んでも意味がよくわからないのが「奥深く」「味わい深い」名文なのだそうだ。大学入試問題で「傍線部分をわかりやすく説明せよ」なんていう定番の問題がある。冗談じゃない。「普通の人が普通に読んでわかるように、最初からもっとわかりやすく書けよ」なんて文学オンチの私なんかは思ってしまう。
 
このように、一口に日本語といっても、人は用途に応じて使い分けている。そこで問題を一つ。
(問)大学で教える学者の書く論文が難解なのはなぜか? 次の中から正しいものを選べ。ただし、正解は一つとは限らない。難問ですぞ(笑)。
 
① 難しく書いたほうが格調高いと思っているから
② 自分でもよくわかっていないから
③ 内容に自信がないからわざとわかりにくく書いている
④ わかりやすく書くというトレーニングを受けていないから
⑤ そもそも内容が難しいから
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