授業は毎年進化しているが、特に今年は4月5月が休校になったため、授業内容を一段と精選し、より高密度なノートに書き換えている。昨日行なった2回目の授業は、人生で最高の授業ができたと内心たいへん喜んでいる。若い教員にはまだまだ負けられない。
ところで、ベテラン教員と若手教員の違いは何か?
結論を言うと、「メリハリ」のつけ方だと思う。ベテランになればなるほど、ここで学ばなければいけない大切なことは何かが見えてくる。大切なことと、どうでもいいことの区別がつくようになるのだ。もちろん、大切なこと=入試で出ることではない。むしろ、一番大切なことは入試問題には適さないことが多い。
若いころは大切なことと、そうではないことの区別がつかない。だから、教科書に書いてあることは全部教える。ある種の責任逃れである。私もそうだった。何のメリハリもなく大量の知識を教えるものだから、生徒は「味噌」も「クソ」も同じレベルで覚える。その結果、本当に学ばなければならないことが、1年もするとすっかり抜け落ちてしまう。
かつてアインシュタインは言った。「教育の効果は学校で学んだことを全部忘れた後にあらわれる」。長い間、私も「教育とはそういうものだ」と思っていた。しかし、今はこれが間違いであると断言できる。全部忘れてしまうような教育をした先生が悪いのだ。
いい教育とは、「世の中の見方が変わり、人生の指針となるような知識が生徒の脳みそにグサッと突き刺さり、忘れようにも忘れられない」そんな授業ではないか。実は政治・経済の教科書についていえば、本当に重要なことはたったの4つしかない。それらはいずれも何のためにこの教科を教えているのかという「哲学」から導き出されたものである。その4つに徹底的に的を絞り、ほかのどうでもいい些末な知識はなるべくそぎ落とす。そうしたメリハリのきいた授業こそが理想であると思う。
そうした授業ができるようになるためには、専門書をたくさん勉強する必要がある。専門分野以外を教えるときはなおさらである。少なくとも学部レベルの専門書を何冊か読みこなすくらいの準備はしてほしいと思う。しかし、今の若い先生方を見ていると何でもかんでもインターネットで調べ、それで事足れりとしている。今の教育現場が忙しいのはわかるが、これでは生徒も先生も満足できないのではなかろうか。
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