従来のセンター試験に代わって2021年度から共通テストが始まり、暗記偏重から思考力・判断力が重視されることとなった。このことついて感じた点を3つほど指摘しておきたい。
第一に、不要な「枕詞」が多すぎる。例えば次の設問を見ていただきたい(2024年度政経問題)。
設問の冒頭に必ず「~について調べてみた」という枕詞がついている。なぜこんな不要な枕詞を置くのか。ストレートに次のように書けば十分ではないか。
「次のア~ウの文章は『統治二論』『戦争と平和の法』『リバイアサン』の一節のいずれかである。著者名の組み合わせとして正しいものを次の①~⑥から一つ選べ。」
全33問ほとんどこの形式である。
これも
「次に掲げたインド、インドネシア、中国の人口ピラミッドをみて、後の会話文の空欄ア・イに当てはまる正しい国名と語句の組み合わせを①~⑥の中から一つ選べ」
で十分ではないか。
こんな回りくどい問い方をする理由はただ一つ。思考力を問うような「体裁」を取らなければならないからだろう。問うている内容は全く思考力を問うものではないのに、こんな体裁をとって思考力、判断力を問う「ふり」だけをしている。これでは文意を読み取るのに時間がかかって、肝心の「考えるための時間」が取れない。改善を望みたい。
第二に、思考力・判断力を問うために教科書には全く載っていない資料を提示し、それをもとに解かせる設問が増えている。しかも、その割合がかなり多い。この傾向が続けば、やがて生徒は授業なんか聞かなくても国語力だけで解けると思い、授業を軽視し始めるだろう。この結果、高校が果たすべき基礎教育がおろそかになる恐れがある。かつて「現代社会」で「ノーベンで8割取れた」と語ってくれた生徒がいた。教科書を越えた内容を出題するのは歓迎する。しかし、その配点には上限を設けるべきである。
第三に、生徒の「どんな能力」を問うているのか疑問に思う設問がみられることである。そんなことを問うてどんな意味があるの?そんなことに正解出来てどんな意味があるの?という問題である。高校で「政治・経済」を学ぶのは、社会をもっと良くするためであり、できるだけ多くの人が豊かで幸せな人生を送れる社会をつくるためである(と私は思っている)。それに資する作問をしていただきたい。
受験勉強は青春の貴重な時間を費やすものである。単に大学に合格するためだけではなく、一生の財産となるような基礎知識を身につける機会であるべきだ。最近の入試問題は良問も見られるが、全体として劣化しているように思われる。
2025年度からは新課程の入試が始まる。「公共、政治・経済」の試作問題を見る限り、劣化の程度がますます酷くなっているように思われる。大学入試問題のあり方は学習指導要領以上に影響力を持つ。日本の将来のために良問をお願いしたい。